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鶴岡八幡宮大鳥居
〜一の鳥居:若宮大路〜

岡戸事務所
編集:岡戸事務所







鶴岡八幡宮一の鳥居


 鶴岡八幡宮から若宮大路由比ヶ浜へと下ると、御影石で造られた鳥居がある。

 この鳥居が鶴岡八幡宮の「一の鳥居」。

 現在の鳥居は、1668年(寛文8年)、江戸幕府四代将軍徳川家綱によって寄進された石造明神鳥居。

 高さは約8.5メートル。

 「二の鳥居」「三の鳥居」も家綱の寄進によって建て替えられたが、1923年(大正12年)の関東大震災によって三つとも倒潰。

 1937年(昭和12年)、「一の鳥居」だけがもとのとおりに再建されている(参考:若宮大路の歴史散策)。

 『吾妻鏡』によれば、1241年(仁治2年)4月3日、大地震が発生し、大鳥居内の拝殿が流出したとある。


段葛
鎌倉観光段葛
若宮大路
鎌倉観光若宮大路





浜の大鳥居跡
浜の大鳥居跡

 1990年(平成2年)の発掘調査によって発見された柱痕。

 戦国時代に北条氏康によって造立された鳥居のものである可能性が高いという。


下馬周辺遺跡
下馬周辺遺跡

 一の鳥居の手前、鎌倉女学院横の遺跡。

 鎌倉警察の建設のため発掘調査が行われ、鎧や埋蔵銭が発見された。

 中世以前の鎧が発掘されることは珍しく、京都の法住寺殿に続いて二例目。

 中世から戦国時代の遺構〜下馬周辺遺跡〜(okadoのブログ)


畠山重保の墓
畠山重保の墓

 大鳥居(一の鳥居)の近くには、畠山重保の屋敷があったとされている。

 重保は畠山重忠の嫡子で、北条時政の謀略によって由比ヶ浜で最期を遂げた。

 大鳥居の傍らに重保の墓と伝わる宝篋印塔が建てられている。







☆伝説!大鳥居と弁財天のお告げ☆

 鶴岡八幡宮の大鳥居(一の鳥居)は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の夫人崇源院の願いで、木造の鳥居から石造の鳥居に造り替えられたといわれている。

 崇源院は、鶴岡八幡宮の弁財天を信仰し、祈願をして三代将軍となる家光を生んだといわれ、自分の代わりに家光の乳母である春日局を度々参拝させた(参考:鶴岡八幡宮旗上弁財天社)。

 そんな崇源院の夢の中に鶴岡八幡宮の弁財天が現れ、「備前国の石を使って木造の鳥居を石造とするように」というお告げがあった。

 しかし、大工事のうえ、遠国から石を運ばなければならなかったことから、四代将軍家綱の代になって完成したのだという。

 崇源院は、お江と呼ばれ、織田信長の妹「市の方」と浅井長政との間に生まれた子。

 豊臣秀吉の側室で秀頼の母となる「淀の方」は姉にあたる。

 娘の千姫は秀頼に嫁いだ。

 千姫の養女は東慶寺の第20世の天秀尼。

 建長寺仏殿、唐門(勅使門)、西来庵の中門は、芝増上寺の崇源院の御霊屋にあったものが移築されている。


鶴岡八幡宮一の鳥居 旗上弁財天社
旗上弁財天社



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鶴岡八幡宮の造営

鶴岡八幡宮の一の鳥居

鶴岡八幡宮の参道・・・段葛

若宮大路の散策

二の鳥居・三の鳥居と歴史遺産の段葛









鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮

 鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。

 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 


鎌倉市雪ノ下2−1−31

0467(22)0315

鎌倉駅東口より徒歩10分



鶴岡八幡宮周辺・西御門・二階堂
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