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北条義時の法華堂跡

岡戸事務所
編集:岡戸事務所







北条義時法華堂跡


 2005年(平成17年)、源頼朝墓東隣の山の中腹から北条義時のものと考えられる法華堂跡が発掘された。

 調査の結果、1辺が8.4メートルの正方形の三間堂であったと推測されている。

 義時の法華堂は、遺言によって建立されたとされ、『吾妻鏡』には、「故右大将家法華堂の東の山上をもって墳墓となす」と記載されている。

 故右大将家とは源頼朝のこと。


北条義時法華堂跡





〜北条義時〜

 北条義時は、源頼朝亡き後の御家人による政権争奪に深く関わり、畠山重忠の乱後は、父時政を鎌倉から追放し二代執権の座についた(畠山重忠の乱 畠山重忠殺害と北条氏の世代交替)。

 将軍源実朝の暗殺では、裏で暗殺者である公暁を操っていたとも考えられている(源実朝の暗殺(源氏の滅亡) 実朝の暗殺)。

 1221年(承久3年)には、後鳥羽上皇が起こした承久の乱を鎮圧。

 北条執権体制を確立した義時は、1224年(元文元年)6月13日、62歳で急死したが、暗殺されたのではないかという説もある。


北条義時やぐら
北条義時やぐら
(鎌倉市)
伊豆の国市北條寺
北条義時夫妻の墓
(伊豆の国市)

 近くに「よしときさん」と呼ばれ、義時の墓とされてきた「やぐら」も存在している(参考:北条義時やぐら)。

 伊豆の国市の北條寺には、子の北条泰時が建てたという墓がある。






大江・毛利・島津の墓
大江広元・毛利季光・島津忠久の墓

 北条義時法華堂跡とされる平場の上には、大江広元、その子毛利季光と、島津氏の祖島津忠久の「やぐら」がある。 


三浦一族の墓
三浦泰時一族の墓

 北条義時の法華堂跡の山裾には、宝治合戦で敗れた三浦泰村一族を葬ったとされる「やぐら」が残されている。



村田清風歌碑
村田清風歌碑

 北条義時法華堂跡の下にある村田清風句碑。
 清風は長州藩士。毛利氏の小姓として仕え、藩政改革に手腕を発揮した。 





北条義時は暗殺されたのか?

北条義時の法華堂跡











法華堂跡碑
法華堂跡

鎌倉市西御門2丁目

鎌倉駅東口より徒歩15分



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