鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その2
田楽辻子のみち


編集:岡戸事務所
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=田楽辻子のみち=
 滑川の大御堂橋の文覚上人屋敷跡から報国寺に至る道。
 二代執権北条義時の菩提を弔うために三代執権北条泰時が建立した「釈迦堂」前に田楽師が住んでいたことからこの名がつけられた。
 「田楽辻子のみち」には、文覚上人屋敷跡勝長寿院跡釈迦堂切通上杉禅秀邸跡衣張山がある。


田楽辻子のみち  巡礼古道〜衣張山〜




文覚上人屋敷跡碑
文覚上人屋敷跡
 大御堂橋付近の滑川は、文覚の屋敷があったことから「坐禅川」と呼ばれていた。 
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勝長寿院跡碑
勝長寿院跡
 源頼朝が父義朝の菩提を弔うために建てた勝長寿院があった場所。
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釈迦堂切通
 二代執権北条義時を弔うための釈迦堂があったことからこの名がついた。しかし、釈迦堂があった正確な場所は不明。切通のある釈迦堂ヶ谷は、地元では「しゃかんど」と呼んでいる。
 釈迦堂切通は、鎌倉内(釈迦堂ヶ谷と大町、名越を結ぶ。)の切通であるため、鎌倉七口には数えられていない。
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☆伝説!唐糸草子☆
 源頼朝の従兄弟である木曽義仲は、頼朝の様子をうかがうため、琵琶と琴の名手である唐糸(義仲の家臣手塚太郎光盛の娘)を鎌倉へ送り込んだ。唐糸は、頼朝が義仲を討とうとしていることを知ると、頼朝を暗殺しようとした。しかし、頼朝にその企てを覚られ、釈迦堂近くの「やぐら」(唐糸やぐら)に幽閉されてしまう。それを救ったのが唐糸の娘の万寿姫で、姫は頼朝に仕えると鶴岡八幡宮に奉納する舞の舞姫に選ばれ、その舞が頼朝に気に入られた。頼朝の「何でも望みのものをやる。」との言葉に、「母親を助けてほしい。」と頼んだそうである。頼朝は驚いたが、その願いを聞き入れたという。

釈迦堂切通と大町釈迦堂口遺跡(okadoのブログ)
源義仲と源頼朝(okadoのブログ)




上杉禅秀邸跡跡碑
=上杉禅秀邸跡=
 上杉禅秀は、鎌倉公方足利持氏と対立し、乱を起こして敗れた(上杉禅秀の乱)。
 これによって、山内、扇谷とともに勢いのあった犬懸上杉家は没落した。
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☆伝説!衣張山☆
 衣張山は、大倉幕府の南東にある。源頼朝は、暑い夏のある日、この山を白い絹で覆わせ、雪山に見せることによって涼を楽しんだらしい。頼朝ではなく、北条政子が父の北条時政に頼んで白絹を覆わせたという話もある。

田楽辻子の上杉禅秀邸跡から衣張山の山頂へ
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(参考:鎌倉の古道
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田楽辻子のみち  巡礼古道〜衣張山〜  伝説の衣張山2011/04/30






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