鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その2
勝長寿院跡


編集:岡戸事務所
カスタム検索


〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







=幻の寺《勝長寿院跡》=


勝長寿院跡碑
 勝長寿院は、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立した。当時は「大御堂」とも呼ばれ、現在もその名が地名として残っている。
 1185年(文治元年)、後白河法皇から送られた源義朝義朝に仕えた鎌田政長(政清・政家)の首を葬り、追善の法会が行われた。
 頼朝は、この2人の首を持った使者を稲瀬川まで迎えに出て受け取ったという(『吾妻鏡』では片瀬となっている。参考:本蓮寺(藤沢片瀬))。
 源義朝は、1159年(平治元年)に起こった平治の乱に敗れ、東国に逃れる途中、長田忠致の裏切りに遭い、家来の鎌田政長とともに殺された。
 北条政子源実朝もこの寺に葬られたというが、その存在は不明。北条時行の中先代の乱の折、諏訪頼重ら43人が自刃した場所でもある(参考:北条得宗家の滅亡〜最後の得宗北条時行〜(okadoのブログ))。



 勝長寿院は、源頼朝鶴岡八幡宮の次に造営した寺院。『吾妻鏡』には「霊崛」(れいくつ)と記されている。
 本堂(阿弥陀堂)には、成朝(奈良仏師)によって彫られた「黄金の阿弥陀仏」が本尊として安置され、藤原為久によって「浄土瑞相二十五菩薩像」(壁画)が描かれた。
 のちに、五仏堂には運慶の五大尊像が安置されている。
 1258年(正嘉2年)の再建時には、本堂・弥勒堂・五仏堂・三重塔・惣門が建てられたといわれているが、その後、度重なる火災に遭い、16世紀前期頃に廃寺となったと考えられている。

運慶〜鎌倉の武家政権と奈良仏師〜(okadoのブログ)



〜義朝の埋葬〜
 頼朝は、義朝の骨を埋葬するに当たって、多くの御家人を遠ざけ、源氏一門である平賀(源)義信、その子大内(源)惟義、毛利(源)頼隆を従えて葬ったといわれている。
 平賀義信は、新羅三郎義光の孫で平治の乱義朝に供した。また、毛利頼隆は、源義家の孫で同じく平治の乱で父が義朝の身代わりとなって討死している。
 いずれも、義朝にゆかりのある源氏の武将であった。

〜鎌田政長〜

 鎌田政長は、義朝の郎党で、保元の乱の折、義朝の父為義を斬る務めを果たし、平治の乱では義朝を東国に逃そうとした武将。
 義朝とともに長田忠致の裏切りに遭い殺された。
 ※政長の母は、義朝の乳母を務めたため、義朝と政長は乳兄弟と呼ばれていたる

〜長田忠致〜
 長田忠致は、頼朝が挙兵すると頼朝に従ったといわれ、平家滅亡後に、頼朝の命によって斬首されたという。


源義朝の遺骨が葬られた勝長寿院(okadoのブログ)
平治の乱・・・明暗が分かれた平氏と源氏(okadoのブログ)
平治の乱・・・伊豆流罪となった源頼朝(okadoのブログ)

源義朝墓(左:右は鎌田政長墓)

参考ページ
逃げる源義朝に従った八騎の中の一人渋谷金王丸の伝説。
相模の武将渋谷重国  長泉寺(綾瀬市)
〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜


田楽辻子のみち
源頼朝創建の三大寺院







〜大姫と静の舞〜
 1186年(文治2年)、源義経の愛妾静御前は、鶴岡八幡宮若宮の回廊で舞った後、この勝長寿院でも舞を披露している(参考:静の舞)。頼朝の娘大姫に頼まれたためである。
 大姫は婿の木曽義高が殺されて以来、体調が優れず、勝長寿院に参籠し病気回復祈願を行っていた(参考:岩船地蔵堂)。
 大姫は、1197年(建久8年)に亡くなった。勝長寿院に葬られたと考えられる。

母と子の悲しい運命・・・静御前(okadoのブログ)

〜日向薬師に病気治癒祈願〜
 頼朝は、1194年(建久5年)、木曽義高との悲恋が原因で病となった大姫の治癒祈願のため、霊山寺(日向薬師)を参詣し「大太鼓」を納めたといわれている。

大姫の病気治癒祈願〜源頼朝・・・日向薬師を参詣〜(okadoのブログ)



〜万灯会(まんどうえ)〜
 1190年(建久元年)の盂蘭盆には、平氏亡霊のための万灯会が催された。

盂蘭盆の万灯会(okadoのブログ)



〜運慶の五大尊像〜
 1219年(承久元年)、源実朝の追福のために、母北条政子が建てた五仏堂に、運慶によって彫られた五大尊像(五大明王)が安置された。
 運慶は、この前年に、源実朝の持仏堂の本尊釈迦如来像と大倉薬師堂の本尊薬師如来も彫ったといわれている。



〜三代将軍実朝の埋葬〜


源実朝公御首塚

壽福寺の五輪塔

 1219年(建保7年)、三代将軍源実朝は、甥の公暁によって暗殺され、勝長寿院に葬られた。しかし、首は公暁が持ち去ってしまいなかったことから、首の代わりに髪の毛を棺に納めたということである。
(参考:源実朝の暗殺(源氏の滅亡) 実朝の暗殺  源実朝公御首塚(秦野市) 源実朝の首と七騎谷の伝説(okadoのブログ)

古寺の くち木の梅も 春雨に そぼちて花も ほころびにけり 
源実朝が勝長寿院を訪れた際に梅の花が咲いているのを見て詠んだ歌。〜

源実朝の木製五輪塔(okadoのブログ)
公暁と源実朝の暗殺・・・源氏の滅亡(okadoのブログ)



〜北条政子の埋葬〜


安養院の宝篋印塔

壽福寺の五輪塔

 源頼朝の妻北条政子は、晩年、勝長寿院の奥に屋敷を建てて住んでいたといわれ、1225年(嘉禄元年)に亡くなり、そこで火葬されたという。
 政子が建てた壽福寺安養院にもその墓と伝わるものがあるが、勝長寿院に葬られたと考えられる。

北条政子と源実朝の墓(okadoのブログ)





鎌倉寺社巡り その2トップ

鎌倉手帳トップ
鎌倉検定のページ
(3級・2級・1級の問題と解説)
カスタム検索