鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その2
梶原太刀洗水
〜鎌倉五名水〜
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岡戸事務所
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梶原景時
が
上総介広常
を討ったあと、この湧き水で太刀の血を洗い流したという。
朝夷奈切通
の岩肌から湧き出る
鎌倉五名水
の一つ。
広常は、2万騎の兵を率いて
源頼朝
に従った武将。
しかし、1183年(寿永2年)、頼朝の命を受けた梶原景時に殺害された。
景時が広常の屋敷に赴き、酒のもてなしを受け、二人で双六に興じているときに景時が広常に襲いかかって、首をとったといわれている。
源頼朝大軍を率いて鎌倉入り(okadoのブログ)
暗殺理由は不明・・・
広常
暗殺後、
広常
が生前に上総一の宮に奉納した鎧の中から、
頼朝
の武運長久を祈る願文がみつかっている。後悔した
頼朝
は、
千葉常胤
に身柄を預けていた
広常
の一族を赦免したという。
ただし、
頼朝
は、のちに後白河法皇と面談した際、「朝廷に対する忠誠心から殺害した。」と述べている。
広常
は、武家の世を築こうとしているのに、日頃、朝廷との交渉に努めていた
頼朝
に対して、不満をもっていたことは事実のようである。
源頼朝と上総介広常(okadoのブログ)
暗殺された上総介広常(okadoのブログ)
源頼朝のための願文・・・上総介広常(okadoのブログ)
広常の屋敷
朝夷奈切通
付近の「屋敷田」と呼ばれる所に
上総介広常
の屋敷があったと伝えられている。
源頼朝
は、御所が新造されるまでの間、ここに滞在していた。
広常
は、
頼朝
の父
義朝
にも仕え、その時代にはすでに鎌倉に屋敷を構えた。
頼朝
が滞在したとする屋敷と同じであったと考えられる。
広常
を暗殺した
梶原景時
の屋敷も
明王院
近くにあったとされている(参考:
梶原景時邸跡
)。
梶原太刀洗水〜鎌倉五名水〜(okadoのブログ)
横浜市金沢区の朝比奈のバス通りにある五輪塔(「上総介塔」)は、
上総介広常
の墓ともいわれている。
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