鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その2
上杉禅秀邸跡
〜上杉朝宗・氏憲邸跡〜


編集:岡戸事務所
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上杉朝宗及氏憲邸跡碑
 犬懸上杉家の屋敷跡。
 上杉家は、1252年(建長4年)、第六代将軍宗尊親王が鎌倉に下向する際に、公家であった上杉重房が親王に従って下向してきたのがそのはじまり(参考:扇ヶ谷上杉管領屋敷跡)。
 上杉朝宗は、関東管領として、鎌倉公方足利氏満満兼に仕えた。子の氏憲(禅秀)が跡を継ぎ、足利持氏のときに関東管領に就任している。 

上杉重房 憲房 憲藤 朝宗 氏憲(禅秀)

上杉重房と関東管領上杉氏(okadoのブログ)



二十五坊跡
◎禅秀の最期
 1416年(応永23年)、禅秀(氏憲)は、持氏と対立し、乱を起こして敗れ(上杉禅秀の乱)、翌年、鶴岡八幡宮の別当坊に籠もって自刃した(参考:二十五坊跡)。
 これによって、山内、扇谷とともに勢いのあった犬懸上杉家は没落する。

◎敵御方供養塔
 藤沢の遊行寺に残されている敵御方供養塔。上杉禅秀の乱で戦死した敵・御方(味方)を供養するために1419年(応永25年)に建立された。





滑川に架かる犬懸橋
 上杉禅秀邸のあったところは、犬懸ヶ谷と呼ばれる。釈迦堂ヶ谷の東にある谷で、杉本寺門前の滑川に架かる犬懸橋を渡ったところ。
 邸跡碑は田楽辻子と交差するところに建てられている。
 「犬懸」は、狩りの際に犬が駆け回っていたという事に由来するといわれる。
 また、衣張山の麓にあることから「きぬかけがやつ」と呼ばれたこともあったらしい。




田楽辻子のみち



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