鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その3
本 覚 寺


編集:岡戸事務所
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=東身延《本覚寺》=
(日蓮宗)


サルスベリと本堂
 もともとは、幕府の鬼門除けの夷堂(天台宗系)があった場所で、1436年(永享8年)、開山の日出が日蓮宗の寺とした。
 二代日朝が身延山に参詣することが困難な人のために、身延山久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したことから「東身延」と呼ばれる。


しあわせ地蔵
鎌倉・江の島七福神(恵比寿)
鎌倉十三仏第3番札所(文殊菩薩)
開山 日出
本尊 釈迦三尊

本覚寺の枝垂れ桜2011(okadoのブログ)
2011鎌倉夏景色:本覚寺のサルスベリ(okadoのブログ)




分骨堂
◎日朝さま
 本覚寺は、二代日朝が目の病気を患った際に、法華経と自らの回復力で治癒したことから、目の病気を治してくれる寺として「日朝さま」の愛称で親しまれている。
 日朝は、開山の日出が伊豆を訪れた際に出会った少年といわれ、日蓮の再来とまでいわれるほど聡明だった。のちに身延山久遠寺十一世となり、身延に遠い信者のために、本覚寺にも日蓮の遺骨を分骨したことで「東身延」と呼ばれるようになった。

◎日朝上人大会
 毎年7月24日に行われる法要。日朝忌の前日に行われている。

日蓮の分骨堂〜本覚寺〜(okadoのブログ)  鎌倉本覚寺二世の日朝上人(okadoのブログ)



正宗の碑
◎五郎入道正宗
 名刀正宗で有名な五郎入道正宗の墓。 
 正宗は、鎌倉に「相州伝」を完成させた鍛冶職人。その技術は、刃物や鉄工芸品を作る正宗工芸として現在に引き継がれている(参考:鎌倉の産業 刃稲荷 正宗工芸)。

正宗の墓
 正宗という名は、日蓮につけてもらったといわれている。
 龍ノ口法難によって佐渡に流されていた日蓮が、許されてこの地にあった夷堂に身を寄せていた頃、正宗の父行光が正宗とともに日蓮のもとを訪れ、教えを乞うたといわれている。
 参考:妙善寺(藤沢)

刀工:五郎入道正宗の墓〜本覚寺〜(okadoのブログ)


◎梵鐘
 総高96.5センチメートル、口径60センチメートル。日出が上総布教の際、木更津八幡宮別当泉蔵寺で八剣と論争した末に勝利し、記念として譲り受けたもの。
 供をしていた石渡造左衛門が一人で担いで持ち帰ってきたと伝えられている。
 応永17年(1410年)11月8日の銘がある。
 除夜の鐘:鎌倉〜除夜の鐘が撞ける寺〜

◎人形供養
 毎年10月の第一日曜日に古くなった人形や玩具を炊き上げて供養する。

◎夷神
 源頼朝が鬼門除けに夷神を祀ったのが夷堂の始まり。開山の日出はこの夷堂で布教を行った。明治の神仏分離によって夷堂は移転し、現在の蛭子神社となったが、1981年(昭和56年)に本覚寺内に再建された。鎌倉・江の島七福神の一つ。

源頼朝が建てた幕府の鎮守「夷堂」と本覚寺(okadoのブログ)




夷堂前のセンダン

鎌倉・江の島七福神


センダンの実
本覚寺のセンダンの木





☆伝説!日出上人☆
 日出は、日蓮の教えに入り、夷堂での布教を続けていたが、他宗の反対に遭い、ときの鎌倉公方足利持氏に捕らえられ、刑場(現在の六地蔵辺り)に引き連れられた。
 しかし、持氏の夢枕に夷神があらわれ「日出を殺すな。」と告げたという。日出は無罪放免となったばかりか、寺の建設資金まで賜った。
 源頼朝が祀った夷神に言われては持氏も仕方ないといったところであろうか。

◎仁王門
 小町大路沿いに建つ江戸時代に造立されたという重層の仁王門。
 本覚寺は、若宮大路小町大路の間に建てられているが、表門は小町大路側。門前には、滑川が流れていて、特に「夷堂川」と呼ばれている。
 その夷堂川に架けられている橋が鎌倉十橋の一つ「夷堂橋」

鎌倉十橋「夷堂橋」
 本覚寺門前に架かる橋は「夷堂橋」と呼ばれ鎌倉十橋の一つ(下を流れる滑川は、「夷堂川」と呼ばれる。)。
 この橋より北が小町、南が大町となる。
詳しくは写真をクリック。


アヤメ

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ノウゼンカズラ



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福娘から御神酒が振る舞われ、福笹やお守りが授けられる。

鎌倉えびす(okadoのブログ)





小町大路の散策(筋違橋〜大町四ツ角)


鎌倉の日蓮宗の寺
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本覚寺:鎌倉市小町1−12−12  0467(22)0490

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