鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その3
教 恩 寺


編集:岡戸事務所
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=平重衡が信仰した阿弥陀仏《教恩寺》=
(時宗)

 山門の十六羅漢の彫刻が見事な教恩寺は、一ノ谷の合戦で敗れ捕らえられた平清盛の子で重衡に縁のある寺。
 重衡は、南都焼討ちによって、奈良の東大寺や興福寺を焼いた武将。
 「一ノ谷の合戦」で捕らえられ鎌倉に来た際に、源頼朝より一族の冥福を祈るように阿弥陀像を与えられたという。その像が教恩寺の本尊で、運慶作と伝えられている。
 もともとこの地には、光明寺末の善昌寺があったが廃寺となったため、1678年(延宝7年)、貴誉上人によって、光明寺境内にあった北条氏康建立と伝わる教恩寺が移築されたといわれている。その後、浄土宗より時宗に改宗したと考えられる。

鎌倉観音巡礼第12番札所(聖観世音)
開山 知阿
開基 北条氏康
本尊 阿弥陀如来三尊

 もともと教恩寺は、重衡と直接関係のある寺ではないが、重衡は、源頼朝が与えられたという教恩寺の本尊阿弥陀像に深く帰依したといわれている。重衡が往生できるよう祈願すると阿弥陀像が三度うなずいたという伝説もある。
 かつて、教恩寺の寺宝の中に平重衡と千手前(北条政子の侍女)が酒を酌み交わしたという杯があったといわれている。黒の漆塗りで、梅の蒔絵が施してあった杯だったと伝えられている。

運慶〜鎌倉の武家政権と奈良仏師〜(okadoのブログ)



十六羅漢の彫刻(山門)

ミモザ

十六羅漢の山門〜教恩寺〜(okadoのブログ)
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◎平重衡
 南都焼討を行った武将(平清盛の五男)。
 一ノ谷の合戦で平家軍は大敗し、重衡は捕えられ、梶原景時が護送して鎌倉に送られてきた。重衡の態度に感心した源頼朝は、客として厚遇し、侍女の千手前(北条政子の侍女)を差し出している。
 酒宴の席を設けさせ、工藤祐経が鼓をうち、千手前が琵琶を弾き、重衡は横笛を吹いて楽しませたという。その酒宴には頼朝は参加していないが、後から、楽しかったことを聞いた頼朝は、大いに残念がったという話も伝わっている。
 しかし、平家が壇ノ浦に滅亡すると、南都の強い要求により、東大寺の使者に引き渡され、木津川で処刑された。
 千手の前は、重衡の処刑から3年後に24歳で死去したといわれている(『吾妻鏡』)。




南都焼討の平重衡と鎌倉
平清盛と源頼朝
平清盛が厳島神社の納めた経巻・・・平家納経
武家政権を樹立した平清盛
平清盛の最期・・・平氏の没落
平家物語が描く平清盛の死
源平合戦で捕らえられた宗盛と重衡
平氏の滅亡・・・吾妻鏡に記された壇ノ浦の戦い
東大寺の復興と源頼朝





大町大路の散策


参考: 時宗総本山遊行寺(清浄光寺)
鎌倉の時宗の寺







教恩寺:鎌倉市大町1−4−29  0467(22)4457

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