鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その3
蛇苦止堂と蛇苦止ノ井
〜鎌倉:妙本寺〜


編集:岡戸事務所
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〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







=若狭局を祀る社《妙本寺の蛇苦止明神》=

 1203年(建仁3年)、比企能員が北条時政邸で暗殺され、比企ヶ谷の比企一族は、北条義時らに攻められ滅ぼされた(比企の乱)。
 二代将軍源頼家の側室であった若狭局(能員の娘)は、家宝を抱えて井戸に飛び込み自害したと伝えられている。
 『吾妻鏡』によれば、1260年(文応元年)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、比企判官能員の娘に祟られ、蛇のような狂態を見せるようになったが、鶴岡八幡宮の隆弁による加持祈祷によって快復した。
 のちに政村は、比企の邸跡に、若狭局を蛇苦止明神として祀る社を建立したという。それが蛇苦止堂といわれている。

〜『吾妻鏡』1260年(文応元年)11月の条〜
 今日相州(政村)一日経を頓写せらる。これ息女邪気に悩む。比企判官能員の女子の霊託に依って、彼の苦患を資けんが為なり。夜に入り供養の儀有り。若宮の別当僧正を請じ唱導と為す。説法の最中、件の姫君悩乱し、舌を出し唇を舐り、身を動かし足を延ばす。偏に蛇身の出現せしむに似たり。聴聞の為霊気来臨するが由と。僧正加持せしむの後、惘然として言を止む。眠るが如くして復本すと。


蛇苦止明神とは・・・〜妙本寺の鎮守〜(okadoのブログ)
物の怪に祟られた北条政村の娘〜妙本寺:蛇苦止堂〜(okadoのブログ)



◎蛇苦止ノ井(蛇形井)
 若狭局が身を投げた井戸は、「蛇苦止ノ井」あるいは「蛇形井」と呼ばれている。
 この井戸は、大町にある六方井(六法井)とつながっているともいわれ、若狭局が蛇身となり、井戸の中で家宝を守っていると伝えられている。


〜日蓮の曼荼羅〜
 1422年(応永29年)、京都扶持衆の佐竹与義(上総介入道常元)は、鎌倉公方足利持氏の討伐によって、妙本寺の法華堂に籠もって自刃した(参考:大寶寺 新釈迦堂跡)。
 その際、火がかけられたため、住職の日行は、日蓮の描いた曼荼羅を持ち出し、蛇苦止堂の井戸に隠そうとしたところ、蛇が現れ、空には雲が起こって大雨を降らせ、火を消したと伝えられている。

〜若狭局と讃岐局〜
(蛇苦止堂は、誰を祀るお堂か・・・???)

讃岐局の供養塔
 妙本寺の比企一族の供養塔の背後、市の天然記念物に指定されているイチョウの古木の下に、「讃岐局蛇苦止霊之墓」と彫られた石塔がある。
 『吾妻鏡』では、北条政村の娘に祟ったのは、「比企判官能員女讃岐局・・・」と記載されているが、この「讃岐局」というのは「若狭局」のことなのであろうか。それとも、能員には、別に讃岐局という娘がいたのであろうか・・・?。

 若狭局と讃岐局については、
 @同一人物であり、若狭局はのちに讃岐局と呼ばれた。
 A一幡の母が若狭局、政村の娘に祟ったのが讃岐局。
 という見解があるようだ。

 また、若狭局については、
 @一幡とともに比企の乱で焼け死んだとする『吾妻鏡』の説と、
 A一幡とともに逃げ延び、2ヶ月あまり経った後、北条義時の郎党に捕らえられ、刺し殺されたとする『愚管抄』の説がある。


天然記念物のイチョウと讃岐局の墓

蛇苦止明神とは・・・〜妙本寺の鎮守〜(okadoのブログ)







六方井

 蛇苦止ノ井(蛇形井)とつながっているという大町の六方井は、水の枯れたことのない井戸として人々を助けてきた。




小町大路の散策(筋違橋〜大町四ツ角)





妙本寺:鎌倉市大町1−15−1  0467(22)0777

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