鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その3
新釈迦堂跡
〜鎌倉:妙本寺〜


編集:岡戸事務所
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=竹御所が葬られた新釈迦堂=

 新釈迦堂は、二代将軍源頼家の娘鞠子(竹御所)の遺言によって建立され、鞠子はそこに葬られたと伝えられている。
 もともとは、鞠子の館(竹の御所)があった場所とされ、妙本寺祖師堂の北方の高台にあった。新釈迦堂には、陳和卿の作と伝わる釈迦如来立像及び坐像と四菩薩像が安置されていたという。現在は新釈迦堂はなく、墓石が残されているのみである。
 ※妙本寺の寺伝では、鞠子は「よし子」となっているようである(「よし」は「女」偏に「美」と書く)。

 新釈迦堂は、江戸時代に祖師堂のすぐ左側に移築されたようであるが、関東大震災で倒壊し、現在は霊宝殿が建てられている。陳和卿作と伝わる釈迦如来立像が安置されている。


〜源鞠子(竹御所)〜
 鞠子(竹御所)は、1202年(建仁2年)、源頼家と若狭局(比企能員の娘)との間に誕生した。一幡とは同母兄妹、公暁とは異母兄妹。
 翌年起こった比企の乱で、父頼家が将軍の座から引きずり降ろされ、母若狭局は、比企一族とともに比企ヶ谷で最期を遂げた。頼家は伊豆修禅寺に流された後、北条氏によって暗殺されている。
 1216年(建保4年)に三代将軍源実朝(叔父)の猶子となった。
 1219年(承久元年)、実朝が暗殺され、源頼朝の血筋をひく唯一の人物となり、1225年(嘉禄元年)、北条政子が亡くなると、御家人からの尊崇を集めるようになる。
 1230年(寛喜2年)、28歳で四代将軍藤原(九条)頼経の妻となり、頼朝の血をひく子を懐妊したが、難産が原因で死産となり、鞠子自身も命を落とした(1234年(文暦元年)、33歳)。

 鞠子(竹御所)の母については、源義仲の娘とする説もある。

源頼朝の血筋の断絶・・・竹御所の死:妙本寺(okadoのブログ)
鎌倉幕府四代将軍・・・藤原頼経(okadoのブログ)


新釈迦堂跡



〜佐竹やぐら〜
 新釈迦堂跡には、「佐竹やぐら」と呼ばれるやぐらがあり、佐竹与義(上総介入道常元)主従13名が自刃したとされている(参考:大寶寺 蛇苦止堂と蛇苦止ノ井(蛇形井))。
 佐竹与義は、京都扶持衆で、鎌倉公方足利持氏に反旗を翻した人物。入道して常元と名乗っていた。
 1422年(応永29年)、佐竹屋敷にいた与義は、上杉憲直に攻められ、妙本寺の法華堂に籠もり自刃したと伝えられている(参考:大寶寺)。
 与義が自刃した法華堂とは新釈迦堂のことであると考えられている。


佐竹やぐら






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妙本寺:鎌倉市大町1−15−1  0467(22)0777

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