鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その3
土佐坊昌俊邸跡
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土佐坊昌俊邸跡
土佐坊昌俊は、
源頼朝
の命により、京の堀川の館にいる
源義経
に夜襲をかけたが、逆に殺された。昌俊は、もしものときは、年老いた母や幼い子供たちに情けを掛けてやって欲しい旨を
頼朝
に申し上げていた。
頼朝
は、京にいる
義経
を誅するべく御家人達を集め、その者を募ったが名乗り出る者がいなかった。しかし、昌俊が進んで引き受けため
頼朝
は喜んだという。
昌俊は、奈良興福寺金剛堂の堂衆だったが、
土肥実平
に預けられ、関東に下向したのち頼朝に臣従した。
土佐坊昌俊は、1185年(文治元年)10月17日、60数騎の軍勢で
義経
のいる堀川の館を襲撃した。
しかし、
義経
は、事前に襲撃を察知していたと考えられ、土佐坊昌俊は捕らえられて六条河原で梟首された。
義経
は、攻撃を受けた翌日、後白河法皇より
頼朝
追討の院宣を受けている。
一方で、土佐坊昌俊による義経襲撃は、
頼朝
が
義経
を挑発するためのものとも考えられている。
頼朝
は、10月24日、
勝長寿院
での父
義朝
の供養を終えると、その席に参列した御家人たちに、直ちに義経討伐を命令しているのである。
源義経を襲撃した土佐坊昌俊(okadoのブログ)
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