鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その4
安 養 院


編集:岡戸事務所
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〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







=ツツジの寺《安養院》=
(浄土宗)


安養院のツツジ
参考:鎌倉のツツジの名所
 安養院は、北条政子ゆかりの寺。
 政子は、源頼朝の菩提寺として笹目(鎌倉文学館辺り)に長楽寺を建てたが、1333年(元弘3年)の幕府滅亡とともに焼け落ちたためこの地に移された。
 しかし、再び火災に遭ったことから、頼朝に仕えていた田代信綱が建立した田代寺の観音堂を移してきた(別名「田代寺」といわれる所以。田代寺は比企ヶ谷にあった。)。

 開山の願行は、伊勢原市の大山寺を再興した人物で、大山寺の本尊鉄造不動明王像は、願行が江ノ島に参籠して鋳造したものと伝えられている(国重文)。

 オオムラサキ(ツツジ)で知られている(参考:鎌倉のツツジ)。
 秋のツワブキとススキも見事。

鎌倉観音巡礼第3番札所(千手観世音)
鎌倉地蔵巡礼第24番札所(日限地蔵)

安養院のオオムラサキ
鎌倉:安養院のツワブキ2011/11/05
鎌倉の観音霊場巡り
鎌倉:ツツジの名所=安養院2012/05/08
開山 願行
開基 北条政子
本尊 阿弥陀如来



◎千手観世音(田代観音)
 頼朝が流刑地である蛭ヶ小島にいた頃から仕えていた田代信綱の観音像を胎内に納めた像であることから「田代観音」と呼ばれる。
 また、政子が祈願して頼朝と結ばれたという言い伝えがあることから「良縁観音」、頼朝が天下をとることができたことから「昇竜観音」とも呼ばれている。
 (参考:田代観音と呼ばれる安養院(okadoのブログ)

安養院のもととなった田代寺
 安養院の田代観音は、もとは妙本寺の東南にあった普門院の本尊であった。
 観音信者であった田代信綱は、持っていた観音像のおかげで、戦に勝利することができたとして、観音堂の創建を思い立ち、辻堂(藤沢市)にあった千手観音像の胎内に観音像を納め、尊乗上人を開山に迎え、白花山普門院田代寺を創建したと伝えられている(1192年(建久3年))。
 普門院は、1680年(延宝8年)に火事で焼失したため、本尊を安養院に移した。本尊千手観音は、恵心僧都が江の島から鎌倉へ向かう途中、辻堂の川で亀に守られていた霊木で彫った像とされている。

◎槙
 樹齢700年ともいわれる古木は、善導寺開山の尊観お手植えとされている。この地には、善導寺という寺があったが、幕府滅亡とともに焼け落ちた。その後、同じく焼け落ちた長楽寺が移され安養院となった。安養院は、北条政子の法名。

◎宝篋印塔
 2基の宝篋印塔のうち、大きい方が尊観のもので鎌倉最古の石塔(1308年(徳治3年)の銘)。国の重要文化財に指定されている。
 もう一方が政子のものだといわれている。(左尊観、右政子の宝篋印塔)  参考:壽福寺(北条政子墓)

北条政子と源実朝の墓(okadoのブログ)
北条政子の宝篋印塔・・・安養院(いろんな鎌倉)

◎日限地蔵
 決まった日数内に願いを叶えてくれる。政子頼朝が結ばれたことにちなみ、恋愛成就のご利益があるという。
 鎌倉二十四地蔵の一つ。

◎仏足石
 鎌倉で最初の仏足石。

◎身代わり地蔵
 撫でたところが良くなるといわれる。

ス ス キ


鎌倉安養院のススキ(okadoのブログ)


◎人丸塚
 平氏の侍大将平景清は、頼朝暗殺を企てて捕えられ、仮粧坂の土牢に閉じ込められた。
 景清の娘人丸姫は捕えられた父に会うため京都より鎌倉に下ってきたが、会うことはできず、景清の死後、尼となって景清が幽閉されていた土牢の上に、景清が守本尊としていた十一面観音を祀って供養したという(向陽庵)。
 数年後に亡くなった人丸姫は扇ヶ谷に葬られ、そこは「人丸塚」と呼ばれていた。その塚もいつしか崩され、安養院に預けられたのだと伝えられている。
 向陽庵に祀られていた十一面観音像は海蔵寺にある。

源頼朝暗殺計画!(okadoのブログ)


四万六千日(観世音菩薩縁日)
 8月10日の縁日に参詣すると四万六千日お詣りしたのと同じご利益があるとされている。

鎌倉の観音霊場巡り(okadoのブログ)
伝説の観音さまと四万六千日詣り(okadoのブログ)


◎高井直哉君碑(安養院墓地前)
 鎌倉青年団の一員だった高井直哉は、大正12年の関東大震災の犠牲となった。
 鎌倉青年団は、鎌倉の史跡を分かりやすく紹介するために「史跡碑」を建てる活動を行った団体。およそ80基の石碑が建てられた。

鎌倉の浄土宗の寺




大町大路の散策






安養院:鎌倉市大町3−1−22  0467(22)0806

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