鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その4
名越切通
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岡戸事務所
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=鎌倉七口「名越切通」=
鎌倉七口
の一つ。
鎌倉から三浦に通ずる古道で、七つの切通の中でも当時の面影をよく残した切通。北方尾根の
「まんだら堂やぐら群」
には多くのやぐらと石塔が残されている。
日蓮
ゆかりの
法性寺
(逗子市)のある山腹には、300mにもなる「大切岸」がある。切岸は山の斜面を垂直に削った人工的な崖で防御施設であった。崖の上は平場になっており、敵の侵入時には、そこから矢を射掛けるなどの攻撃を行った。
「大切岸」の下は「お猿畠」といわれ、3匹の白猿が松葉ヶ谷法難の際に、
日蓮
をここまで連れてきたという伝説がある。
※詳しくは
「鎌倉七口:名越切通」
のページへ
◎日本武尊が通った道
名越峠は、日本武尊が東夷征伐の際に通った道筋で、古東海道筋と考えられている。
松葉ヶ谷法難・・・鎌倉:妙法寺(okadoのブログ)
日蓮が避難した「お猿畠」〜逗子:法性寺〜(okadoのブログ)
名越切通の地蔵菩薩立像と庚申塔(いろんな鎌倉)
名越切通の石碑(いろんな鎌倉)
道の中心あたりに置かれた石は、大軍が容易に鎌倉に侵入することができないようにするためのもの。
参考:
鎌倉の古道
伝説の古道:名越切通
鎌倉七口:名越切通の機能
まんだら堂やぐら群・・・名越切通
鎌倉と三浦を結ぶ名越切通がいつ造られたかは不明であるが、北条氏がもっとも恐れたのは三浦半島を本拠とする三浦氏であったことから、防衛のための切岸を築き、三浦勢の鎌倉侵入を防ぐ目的に造られたと考えられている。
その三浦氏は、宝治元年(1247年)、執権
北条時頼
と
安達景盛
・
義景
父子によって滅ぼされた(
宝治合戦
)。
三浦氏滅亡後の名越切通は、鎌倉・三浦を結ぶ要路として活躍するとともに、
「まんだら堂やぐら群」
にもみられるように、埋葬地としての働きもあったと考えられている。
大切岸
北条泰時死後の政局と北条時頼〜宝治合戦〜(okadoのブログ)
◎石廟
(2基:鎌倉市指定文化財)
切岸上の尾根にある。内部に火葬骨を納めた蔵骨壺が納められていたと考えられ、鎌倉末期から南北朝時代の石廟と推察されている。
鎌倉時代には、一般的に木造の墳墓堂が造られたが、石造の墳墓堂は珍しく、他に見当たらないもの。
伝説の古道:名越切通
鎌倉七口:名越切通の機能
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