鎌倉手帳(寺社散策)

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鎌倉と仏師運慶
武家の古都鎌倉に影響を与えた新様式

岡戸事務所
編集:岡戸事務所

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 運慶は、鎌倉時代に活躍した奈良の仏師。
 父は、師でもあった康慶。

 白鳳、天平時代の仏像を研究し独自の作風を切り開いた。

 運慶が属する仏師集団は、その多くが名前に「慶」の字を用いるところから「慶派」と呼ばれ、奈良興福寺を拠点に活動していた(参考:南円堂北円堂)。

 現存する運慶の最古の作品は、奈良・円成寺の「大日如来像」。


運慶
運慶坐像
(京都:六波羅蜜寺蔵)


 代表作の東大寺南大門「金剛力士(仁王)像」は、造高8メートルにおよぶ巨像で、最近の解体修理の結果、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)らが2か月で造立したものであることが判明している。

 東大寺大仏殿の脇侍と四天王像も、運慶とその一族によって造立されたものであったという。

 文覚の依頼により東寺の諸仏修造にも携わっている(参考:東寺講堂)。


東大寺南大門
東大寺南大門
東大寺大仏殿
東大寺の大仏殿



〜運慶の真作が残されている寺〜

 神奈川県で運慶の真作として確認されているのは、横須賀浄楽寺の「阿弥陀三尊像・不動明王立像・毘沙門天立像」、横浜市金沢区称名寺の「大威徳明王像」のみ。

 鎌倉幕府初代の執権北条時政が建立したとされる伊豆の国市願成就院の「毘沙門天像・不動明王像・こんがら童子像・せいたか童子像」も運慶の真作(近年では、阿弥陀如来像も運慶作であるとする説もある。)。



横須賀浄楽寺
浄楽寺
(横須賀市)


 横須賀市芦名の浄楽寺は、鎌倉幕府の初代侍所別当和田義盛が建立したと伝わっている。

 阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像は運慶の真作。

 毘沙門天像の胎内にあった銘札から、運慶が義盛と夫人のために造立したことが判明している。

 義盛の阿弥陀三尊の発願は、奥州遠征勝利祈願のためともされているが、願成就院を建立した北条時政への対抗からともいわれる。 


運慶の仏像
(浄楽寺の運慶の真作)



称名寺
称名寺
(横浜市金沢区)


 横浜市金沢区の称名寺は、北条実時の持仏堂がはじまりとされている。
 
 孫の貞顕の時代には、七堂伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅に基づく伽藍を完成させたが、鎌倉幕府滅亡後は衰退した。

 「弘法大師像」は、中世では例の少ない塑造像で、貴重な作品。
 塔頭光明院の大威徳明王像は、運慶の真作。 


「大威徳明王」



願成就院
願成就院
(伊豆の国市)


 伊豆の国市の願成就院は、北条時政源頼朝奥州征伐の戦勝を祈願して建立。

 北条三代にわたって、次々に堂宇が建立され繁栄したが、室町時代、北条早雲に攻められた堀越公方の足利茶々丸がこの寺に逃げ込んだことから戦火に見舞われ衰えた(参考:韮山城)。


運慶の仏像
(願成就院の運慶の真作)







 鎌倉にも運慶作と伝わる仏像が数多く存在するが、運慶の真作として確認されているものはない。

 『吾妻鏡』によれば、源実朝の持仏堂「釈迦如来像」、大倉薬師堂「薬師如来像」、勝長寿院「五大尊像」が運慶作であったという。


鎌倉で運慶作と伝わる仏像

光触寺 阿弥陀如来像
杉本寺 十一面観音像
地蔵菩薩像
仁王像
教恩寺 阿弥陀三尊像
延命寺 地蔵菩薩像
補陀洛寺 日光・月光菩薩像
来迎寺 阿弥陀三尊像
英勝寺 阿弥陀三尊像
圓應寺 閻魔大王像





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