稲村ヶ崎から飯島までの海岸(3.2キロメートル)。一般的には、滑川から
稲瀬川までを由比ヶ浜と呼び、滑川から東側を
材木座海岸、
稲瀬川から西側を坂ノ下海岸と呼ぶらしい。
鎌倉時代には、
鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)から南を前浜と呼び、武芸の修練場であった。
源頼朝は、1193年に放生会を行っている。また、
和田合戦で敗れた和田一族の首実検も行われた。多くの人骨が発見されたことから、鎌倉時代以降は埋葬地であったことが明らかになっている。
明治時代になるとドイツ人医学博士のベルツが結核治療に最適な地であると賞し、
長与専斎は海水浴場として最適の地であると称した。
8月10日の鎌倉花火大会は、夏の風物詩となっている。