鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その5
實 相 寺


編集:岡戸事務所
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山門は薬医門
 早春には、山門前のミモザの木が黄色い玉状の花を咲かせる(参考:実相寺のミモザ)。
=曽我兄弟の仇討ち《實相寺》=
(日蓮宗)

 開山の日昭は、曽我兄弟に討たれた工藤祐経の孫にあたるといわれている。
 この地は、工藤祐経の屋敷があった場所。日昭は、日蓮の直弟子六人の筆頭で、日蓮亡きあとは一門の長老と仰がれた。 

開山 日昭
開基 風間信昭
本尊 一塔両尊四士





☆曾我兄弟の仇討ちの謎☆
 兄弟の祖父伊東祐親は、従兄弟である工藤祐経の所領を横領している。祐経は、その恨みから狩に出た祐親を狙ったが、祐親の子河津祐泰を殺してしまった。
 この祐泰が曾我兄弟の親にあたる。祐親は源頼朝が政権を握ると没落し、一方の祐経は頼朝に重用されている。もともと祐親の所領横領から始まった事件であることから、親を殺された恨みというより、自分たちが出世できない憤りからの事件とも考えられる。さらに、この事件は、曽我兄弟のみの起こしたものとは思えない節もある。祐経以外にも何人もの被害者があり、とうてい兄弟のみでは実行できると思えないことから、何らかの反乱とみる説もある。
 ちなみに、伊東祐親は、頼朝が配流中に四女との間に子をつくったことに腹をたて、その子を殺している。頼朝挙兵の折も平氏方についた(参考:八重姫入水の地「真珠院」)。
 この事件により頼朝の弟範頼が反乱の首謀者として修禅寺に幽閉されたのち、梶原景時に攻められ自害させられている(参考:源範頼の謀叛 太寧寺と源範頼)。
 現在では、北条時政曾我兄弟を利用して頼朝を亡きものにしようとしたとする学説も有力となっている。

鎌倉の歴史と源頼朝
歴史探訪(伊豆の旅)
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相模の武将「曾我兄弟」
(城前寺:小田原市)

御所五郎丸屋敷址
御所五郎丸の墓


〜工藤祐経とは・・・〜
 工藤祐経は、頼朝の旗挙げとともに頼朝に従い、歌舞音曲に優れていたことから頼朝に重用された。
 一ノ谷の合戦で捕らえられた平重衡が鎌倉に護送されてきた際には、頼朝の命により、重衡のために酒宴を設け、祐経は鼓、頼朝の侍女千手前が琵琶、重衡が横笛で酒宴を楽しんだという(参考:教恩寺)。
 源義経の愛妾静が鶴岡八幡宮で舞ったときには、祐経が鼓を畠山重忠が銅拍子を担当した(参考:静の舞(鎌倉まつり)  静の舞〜鎌倉と静御前〜)。



曾我五郎時致の恋物語〜仮粧坂〜
曾我兄弟の仇討ち・・・
北条時政という武将






 本堂背後の墓地の石段の上に開山日昭の墓がある。
 日昭は天台宗の僧であったが、のちに日蓮に帰依した。
 日蓮が佐渡に流されても布教を続け、一門の強化のために法華堂を建立した。
 のちの法華寺と称され、それが實相寺の始まりとなる。

ミモザ〜来迎寺(材木座)〜  ミモザシャワー


小町大路の散策(大町四ツ角〜材木座)
水道路から来迎寺・五所神社・實相寺・補陀洛寺・弁谷)

鎌倉の日蓮宗の寺



實相寺:鎌倉市材木座4−3−13  0467(22)7997

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