鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その5
九 品 寺
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岡戸事務所
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=唯一の新田義貞ゆかりの寺《九品寺》=
(浄土宗)
九品寺は、
新田義貞
が京より招いた風航順西が開山した。この地は義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、北条方の戦死者を弔うために建立された。
鎌倉では唯一の義貞が建立した寺で、山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の掲額は、義貞の筆蹟と伝えられている。
鎌倉観音巡礼
第16番札所(聖観世音)
開山
風航順西
開基
新田義貞
本尊
阿弥陀如来
◎九品(くほん)とは?
極楽浄土を願う人の生前の行いによって定められた「九種類の往生のありさま」のことで、上品(上生・中生・下生)、中品(上生・中生・下生)、下品(上生・中生・下生)のこと。
本尊阿弥陀如来立像は宋元風様式を伝えるもので市の重要文化財。
その他、石造薬師如来坐像(永仁4年銘の県重要文化財)、石造閻魔大王像、石造奪衣婆像があるが、
鎌倉国宝館
に寄託されている。
「内裏山」「九品寺」の額は、
新田義貞
の筆を写したもの。直筆の額は本堂に保存されている。
〜新田義貞の鎌倉攻め〜
1333年(元弘3年)5月8日、後醍醐天皇の綸旨を受けて新田庄生品神社で討幕の挙兵をした
新田義貞
は、5月22日、大潮の日に
稲村ヶ崎
を突破し鎌倉に攻め入った。鎌倉攻めのために義貞が陣を布いたのは
北条時頼
の建てた
聖福寺
だったという。
鎌倉に進撃した義貞は、この地に本陣を構え、
東勝寺
の
北条高時
一族を自刃に追い込み鎌倉幕府を滅亡させた(参考:
鎌倉幕府の滅亡
)。
新田義貞ゆかりの地
稲村ヶ崎
聖福寺跡
東勝寺跡
鎌倉炎上〜新田義貞の鎌倉攻め〜(okadoのブログ)
近くに→→→
新居閻魔堂址
九品寺横の海岸通りを西に行くと、
「新居閻魔堂址碑」
が建っている。この辺りに閻魔堂があったことから、ここを流れる
滑川
は「閻魔川」と呼ばれた。閻魔堂は、元禄16年(1703年)の大地震と津波によって倒潰したため山ノ内に移された(現在の
圓應寺
)。
滑川は、現在流れている場所より、かなり九品寺寄りを流れていたと考えれている。
小町大路の散策(大町四ツ角〜材木座)
鎌倉の浄土宗の寺
鎌倉のノウゼンカズラ
九品寺:鎌倉市材木座5−13−14 0467(22)3404
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