鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その5
元八幡(由比若宮)


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=南無八幡大菩薩《元八幡(由比若宮)》=

 1063年(康平6年)、源頼義が前九年の役の勝利に感謝するため、この地に京都の石清水八幡宮を勧請し、由比若宮を建てた。
 頼義の子義家も社殿を修復するなどして源氏と鎌倉の結び付きを強くしている。
 その後、鎌倉に入った源頼朝が、由比若宮を小林郷北山に遷座し、現在の鶴岡八幡宮が造営された。
 祭神は鶴岡八幡宮本宮(上宮)と同じく、応神天皇・比売神・神功皇后。
 鶴岡八幡宮でも売られる「破魔矢」は、源頼義が奉納した弓矢にちなむものという。

 参考:鶴岡八幡宮の創建 鶴嶺八幡宮(茅ヶ崎市)



源義家「旗立の松」



源氏と鎌倉

 源氏が坂東進出に成功した要因の一つに、平将門に次ぐ大きな反乱だったという「平忠常の乱」(1028年(長元元年))を源頼信が平定したことがあげられる。
 朝廷は当初、忠常の征圧には平直方を起用したが、のちに、直方を更迭し頼信を起用した。
 更迭された直方は、それでも頼信に従って一緒に忠常の制圧に向っている。生きるための決断というべきものかもしれない。
 何等の確証はないが、この直方の子孫といわれるのが、源頼朝を担ぎあげ、武家政権を創り上げる立役者となった北条時政ともいわれている。
 直方は、頼信の子頼義に娘を嫁がせ、鎌倉の地を寄進している。ここから、源氏と鎌倉の繋がりが出来上がった。
 のちに、頼義の子義家が、関東武士団を率いて、後三年の役を平定したが、朝廷には私闘と判断され、恩賞が与えられなかった。しかし、義家は自らの私財をはたいて家来へ恩賞を与えたことで、義家の人気は高まり、「武神」と崇められるようになる。
 義家の子の代になると一族間での争いもあり、源氏はその勢いを失って行く。一方で着実に勢力を伸ばしたのが、平忠常の乱以降、源氏に従うのを嫌った伊勢平氏である。
 源氏は、義朝の代で立て直したが、平治の乱で平清盛(伊勢平氏)に敗れ、義朝は討死にし、嫡男頼朝は伊豆蛭ヶ小島に流されることとなる。



参考:鶴嶺八幡宮(茅ヶ崎市)
鎌倉の歴史と源頼朝
歴史探訪(伊豆の旅)
石橋山古戦場




北条時政という武将 
平治の乱・・・明暗が分かれた平氏と源氏
平治の乱・・・伊豆流罪となった源頼朝
平清盛と源頼朝
平清盛が厳島神社の納めた経巻・・・平家納経
武家政権を樹立した平清盛
平清盛の最期・・・平氏の没落
平家物語が描く平清盛の死



〜芥川龍之介の旧居〜
 小説家、芥川龍之介は、塚本文と結婚し、元八幡横に居を構えた。
 『或阿呆の一生』に次のように描いている。「彼等の家は東京から汽車でもたっぷり一時間かかる或海岸の町にあったから。」




石清水ノ井


鶴岡八幡宮の造営
小町大路の散策(大町四ツ角〜材木座)
鶴岡八幡宮の遷宮





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