鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その5
妙 長 寺
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岡戸事務所
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=伊豆法難《妙長寺》=
(日蓮宗)
日蓮
の伊豆流罪の際(
伊豆法難
)、日蓮の命を救った漁師「舟守弥三郎」の子の開山(日実)。一説には弥三郎本人だともいう。
妙長寺には、作家泉鏡花が仮寓し、「みだれ橋」(のちに「星あかり」に改題)を著した。
参考:
鎌倉と日蓮
開山
日実
開基
日実
本尊
三宝祖師
◎日蓮と舟守弥三郎
1261年(弘長元年)、伊豆流罪となった
日蓮
は、
材木座海岸
から船で護送されるが、伊東沖の「まないた岩」と呼ばれる小さな岩に降ろされてしまう(
伊豆法難
)。それを助け、かくまったのが漁師の舟守弥三郎であったと伝えられている。
鱗供養塔
鎌倉、逗子、三崎の漁師や魚商によって建立された。
法難御用船(6分の1模型)
伊豆法難記念塔
妙長寺は、1299年(正安元年)の創建で、もとは
材木座海岸
に近い沼ヶ浦というところにあったが、江戸時代の1681年(天和元年)、津波で堂宇が倒潰したので現在地に移った。沼ヶ浦は、
伊豆法難
の際に
日蓮
が船出した地であると伝えられている。
◎泉鏡花
泉鏡花は明治24年、ひと夏を妙長寺で過した。その時のことを書いたのが「みだれ橋」(のちに「星あかり」と改題)。
妙長寺で過したのち尾崎紅葉に弟子入りした。
もとより何故といふ理はないので、墓石の倒れたのを引摺寄せて、二ツばかり重かさねて臺にした。
其の上に乘つて、雨戸の引合せの上の方を、ガタ/\動かして見たが、開きさうにもない。雨戸の中は、相州西鎌倉亂橋の妙長寺といふ、法華宗の寺の、本堂に隣つた八疊の、横に長い置床の附いた座敷で、向つて左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科といふ醫學生が、四六の借蚊帳を釣つて寢て居るのである。
近くに→→→
鎌倉十橋「乱橋」
妙長寺の近くには、
乱橋
が架かる。
新田義貞
が鎌倉に攻め入ったときに、北条軍が乱れ始めた場所であることから「乱橋」と呼ばれるようになったといわれる(参考:
鎌倉十橋
)。
五所神社
に乱橋の手摺石が残っている。
★
詳しくは写真をクリック
☆伝説!乱橋の大喧嘩☆
英勝寺
の召使3人が潮干狩りかなにかの帰りに、乱橋付近の酒屋で先客8人と喧嘩となり、召使3人は8人に取り押さえられ縄をうたれてしまった。水戸様のお寺と呼ばれる
英勝寺
はカンカンに怒って、江戸表に訴えるという騒ぎとなってしまった。8人は平謝りし始末書をとられたという。
小町大路の散策(大町四ツ角〜材木座)
鎌倉の日蓮宗の寺
妙長寺:鎌倉市材木座2−7−41 0467(22)3572
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