三浦義明の最期
三浦義明は、頼朝の挙兵に合わせて一族を衣笠城から出撃させるが、折からの雨による増水によって酒匂川を渡ることが出来ず、石橋山の戦いに間に合わなかった。頼朝の敗北を知った三浦軍は、衣笠への帰路に着くことになる。その途中、由比ヶ浜で大庭景親に従軍するために出撃してきた畠山重忠と遭遇してしまう。
しかし、義明と重忠とは姻戚関係にあり、とくに重忠の母が義明の娘であったことから、お互いの了解の上で一戦を交えず、「三浦軍は衣笠に引き上げ、重忠はただそれを見とどける」という形をとったという。
ところが、杉本城にいた三浦一族の和田義茂は、三浦軍が重忠に追われていると勘違いをして、重忠を攻めたことから事態が一変し、小坪口での合戦へと発展してしまう。
三浦軍はその居城である衣笠城に辿り着いたものの、すぐに重忠が一族の江戸氏や河越氏を率いて衣笠城を攻めたため、義明は、子義澄らを逃し、自らは死を選んだ(小坪合戦と衣笠合戦)。 |
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