源為朝は、為義の八男で、義朝の弟にあたる。弓の名手として知られ、九州で暴れ回り、「鎮西八郎」と称された。
1156年(保元元年)、崇徳上皇と後白河天皇の対立に武士も参加した保元の乱が起こる。為朝は父為義とともに崇徳上皇につき、兄義朝は後白河天皇について戦った。為朝は夜戦を主張するが受け入れられず、逆に義朝に夜討ちをかけられてしまう。
奮戦の末、敗れた為朝は、その武勇を惜しまれ命は助けられたが、自慢の弓は引けないよう腕の筋を切られ伊豆大島に流された。傷が癒え再び弓を引けるようになると大暴れし、伊豆七島を支配するようになる。
ついに為朝追討の院宣が発せられ、追討を受け自害した。
一方、伝説では追討を逃れ、現在の沖縄県に渡り、琉球王国の始祖となったともいわれている。 |