鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その5
住吉神社と住吉城址


編集:岡戸事務所
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住吉神社
 住吉神社は、正覚寺裏の石段を上がったところにある。三浦氏の山城「住吉城」の鎮守として創建されたといわれている。
 祀られていた木造住吉神倚像は、南北朝の初期に造立されたものと考えられている。鶴岡八幡宮白旗神社に移された後、現在は、鶴岡八幡宮宝物殿に安置されている。
 
祭神 底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)

 和賀江島の守護神と考えられている石祠「住吉社」。
 住吉の神は、古代より航海守護の神ととして崇められてきた。
 住吉神社との関わりは定かではない。



〜住吉城址〜

物見場
 住吉城は、自然の地形をうまく利用した山城で、1510年(永正7年)、北条早雲(小田原北条氏)が築城したものとされている。その後、鎌倉御家人三浦氏の末裔となる三浦道寸(義同)がこの城を落とした。
 1180年(治承4年)、石橋山の戦いに間に合わなかった三浦軍が、由比ヶ浜畠山重忠軍と遭遇し合戦となった際に、三浦軍が拠った場所ともいわれている(参考:小坪合戦と衣笠合戦)。正覚寺から海前寺までの海沿いを通っていた切通(小坪切通)は、古東海道の道筋とも考えらているが現在は廃道となっている。

〜早雲の反撃〜

岡崎城址に建つ無量寺
 住吉城を落とした道寸は、その護りは弟の道香に任せ、自分は岡崎城(伊勢原市)に入った。
 しかし、早雲の反撃が開始され、岡崎城(伊勢原市)いた道寸も住吉城に退くが、住吉城も早雲に奪還され、道寸は三浦の新井城に敗走した(1512年(永正9年))。
 弟の道香は、わずかな家臣らとともに住吉城で奮戦し、逗子の延命寺で自害したという。

〜三浦氏の滅亡〜

新井城址に建つ道寸の墓
 1516年(永正13年)、三浦の新井城も早雲によって攻められ、三浦一族は滅亡した。新井城址には三浦道寸の墓がある。

 円覚寺塔頭寿徳庵にも三浦道寸一族の墓がある。

☆伝説!つぶて石☆
 住吉城址周辺には、合戦に使われたという「つぶて石」が残されているという。
 昔は、漬物石の土台などに使われていたというが、小坪の住人以外が使うと祟りがあるという。


住吉神社からの眺め
 海を見下ろす高台にある住吉神社からは、正面に江ノ島を見ることが出来る。

海前寺の首塚
 近くにある海前寺の首塚には、三浦道寸と北条早雲の戦いの戦死者が葬られているという。

(参考:鎌倉の海 鎌倉:海の見える寺




披露山公園から見た住吉城址






 住吉神社の右背後の隧道は、城内の抜け道で小坪まで続いている。
 小坪側の出入口が塞がれているため通行することはできない。


小坪路その2(海沿いの道)
海・・・小坪からの景色2012/05/13





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