
「亀の子岩」と呼ばれる岩には、和賀江嶋の石碑が建てられている。「てんがしま」とも呼ばれている。
和賀江嶋は、江戸時代までは港として使用されていたが、江戸時代の後期になると、かなり沈下していたと考えられている。明治には、この辺り一面が海で、この岩が島のようになっていたという。
大正12年の関東大震災によって隆起し、和賀江嶋も水面から出てきたといわれている。 |
|
| 鎌倉の海は、『海道記』に「由比ヶ浜に数百艘もの船がつながれている様子が近江の大津のようであり、家が建ち並んでいる様子は大淀のようである。」と書かれるほど、賑やかな街であった。 |
|