鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その6
安 達 亭



編集:岡戸事務所
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 源頼朝が伊豆蛭ヶ小島に流されていた頃から近侍していた安達盛長は、「甘縄」に住んだといわれている。
 「甘縄」という地名は、甘縄神明神社によるものと考えられるが、鎌倉権五郎景政が由比ヶ浜に新邸を建て「甘縄」としたという説もある。
  現在では甘縄神明神社周辺を「甘縄」と呼んでいるが、鎌倉時代の「甘縄」の範囲はかなり大きかったものと考えられる。
 そのため、安達亭がどのあたりにあったのかという定かなことは不明であるが、古くから甘縄神明神社の東南あたりがそうではないかと伝えられてきた。
 安達亭には、源頼朝をはじめ、三代将軍源実朝、四代将軍藤原)頼経、五代将軍藤原頼嗣も甘縄神明神社参詣の際などに立ち寄っている。そのことから考えても、その位置が、甘縄神明神社の近くか、あるいは、その通り道にあったことは確実といえる。
 1285年(弘安8年)11月17日の霜月騒動によって安達泰盛が討たれ、安達亭も焼け落ちた。

安達亭は、盛長景盛義景泰盛の四代の居館となった。

五代執権北条時頼は、安達景盛の娘松下禅尼を母としている。
八代執権北条時宗は、安達泰盛の妹を妻としている。


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安達泰盛邸の様子
文永の役(元寇)の恩賞を求めて鎌倉までやってきた肥後の竹崎季長と対面する御恩奉行の安達泰盛「蒙古襲来絵巻」)。





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