鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その6
甘縄神明神社
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岡戸事務所
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=義家の氏神:鎌倉最古の神社《甘縄神明神社》=
祭神
天照大神
甘縄神明神社は、
源頼義
が祈願して子の
八幡太郎義家
を授かったと伝えられる源氏と縁の深い神社。
頼義や義家は、社殿を修復したと伝えられ、
源頼朝
も社殿を修理し、荒垣や鳥居を建てたと伝わる。
源実朝
、
北条政子
も参詣した。宝物に源義家坐像があり、八代執権
北条時宗
の「産湯ノ井」が残されている。
僧行基の草創。
万葉集の「鎌倉の見越の崎の岩崩の君が悔ゆべき心は持たじ」の「見越の崎(みこしのさき)」は、甘縄神明神社裏山の神輿山ともいわれている。
また、近くには川端康成邸があり、『山の音』は長谷を舞台に描かれている。
甘縄神明神社の石碑・・・八幡太郎義家氏神(いろんな鎌倉)
由比ヶ浜の
染屋時忠邸跡碑
◎
染屋時忠
甘縄神明神社を建てたのは、
染屋時忠
だといわれている。時忠は、藤原鎌足の四代目の子孫。関東諸国の総司令官であった。
鎌倉の各地に娘が大鷲にさらわれた際の伝説がのこされている(参考:
染屋時忠邸跡
)。
(染屋時忠の大鷲伝説)
来迎寺
(如意輪観音)
魔の淵のお地蔵さま
辻の薬師堂
妙法寺
(鷲の宮)
六国見山
(稚児墓)
多聞院
(岡野観音)
塔ノ辻
(由比ヶ浜通り)
◎安達館跡
染屋時忠の子孫ともいわれる
安達盛長
は、甘縄の地に館を構えた。盛長は、
源頼朝
の乳母比企禅尼の娘と婚姻し、伊豆の流人時代から
頼朝
に仕えていた武将。
倹約の教えで有名な
松下禅尼
は、盛長の長男
安達景盛
の娘で、五代執権
北条時頼
の母である。
八代執権
北条時宗
は、盛長の曾孫
安達泰盛
の妹を妻としている(
東慶寺
開山の覚山尼)。
安達氏は、泰盛の代に平頼綱に滅ぼされた(
霜月騒動
)。
参考:
安達亭
源頼朝と伊豆国(okadoのブログ)
安達泰盛と平頼綱の対立〜霜月騒動〜(okadoのブログ)
☆伝説!松下禅尼の倹約の教え☆
北条時頼
が甘縄の館に訪れたとき、母の松下禅尼は、障子の切り張りをしていたという。
禅尼の兄安達義景が「全部張り替えた方が楽だろう。」というと、「私もそう思うが今日だけはわざとこうするのだ。」と答えた。
障子の切り張りで、時頼に「倹約」を教えたのだった。
質素倹約と北条時頼(okadoのブログ)
☆伝説!安達を助けた北条政子☆
二代将軍
源頼家
が
安達景盛
の愛妾を横取りするという事件が起こった。
景盛が不満に思っていることを知った頼家は、安達邸に攻め入ろうとするが、母の
北条政子
が安達邸に入り、頼家に、「景盛を討つなら、まず私を討て。」という旨の使者を送って事件を収めたという。
二代将軍源頼家(okadoのブログ)
◎北条時宗産湯の井
八代執権
北条時宗
は、祖母である松下禅尼の家で生まれたといわれている。時宗の妻覚山尼も同じく禅尼の家で生まれた。覚山尼は、
安達義景
の娘で
安達泰盛
の妹。
参考:
時宗公毎歳忌
隆弁の予告と北条時宗の誕生(okadoのブログ)
北条得宗家の嫡子として誕生した北条時宗(okadoのブログ)
本殿
秋葉社
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例祭〜神輿渡御〜
秋葉社からの上からの相模湾
秋葉社上の祠
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