鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その6
極楽寺切通


編集:岡戸事務所
カスタム検索


〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







 七里ヶ浜から鎌倉に入る古代からの道は、稲村ヶ崎先端を通っていたと考えられる(稲村路)。1180年(治承4年)、北条政子が鎌倉に入るときも稲村路を通ったものと考えられ、1198年(建久9年)、源頼朝相模川の橋供養に出掛けたときも稲村路を通ったものと考えられる。
 『吾妻鏡』には、1252年(建長4年)、宗尊親王が鎌倉に入るときに稲村路を通ったことが記されている。
 『海道記』には、稲村路の様子を「険しい岩が重なり横たわる狭い間を伝わり進むと、岩に当たって打ち上げる波が花のように散りかかる」と記している。
 後に、その不便さを解消するため、極楽寺の開山忍性が切り開いたとされているのが極楽寺切通ということであるが、開かれた時期は定かではない。
 現在の極楽寺切通は、その旧状を留めていないが、かつては、成就院の山門前を寺とほぼ同じ高さで通っていたという。
 極楽寺切通は、鎌倉から七里ヶ浜、腰越、片瀬を抜けて東海道へと通じ、京都への出発点となっていた。

 1333年(元弘3年)、新田庄生品神社で討幕の挙兵をした新田義貞は、鎌倉を巨福呂坂仮粧坂とこの極楽寺切通の三方から攻めた。極楽寺切通の攻防では、大仏貞直が守り、新田軍の大舘宗氏が討死している(参考:十一人塚 稲瀬川)。
 極楽寺切通を攻める際、新田義貞が陣を布いたのが稲村ヶ崎の聖福寺であったといわれている。
 5月22日、新田義貞は、稲村ヶ崎から鎌倉に突入し、鎌倉幕府を滅ぼした(参考:東勝寺跡 鎌倉幕府の滅亡)。

鎌倉炎上〜新田義貞の鎌倉攻め〜(okadoのブログ)




極楽寺切通上方の成就院「紫陽花」の名所です。




極楽寺切通



〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜

鎌倉寺社巡り その6トップ

鎌倉手帳トップ
鎌倉検定のページ
(3級・2級・1級の問題と解説)
カスタム検索