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七里ヶ浜から鎌倉に入る古代からの道は、稲村ヶ崎先端を通っていたと考えられる(稲村路)。1180年(治承4年)、北条政子が鎌倉に入るときも稲村路を通ったものと考えられ、1198年(建久9年)、源頼朝が相模川の橋供養に出掛けたときも稲村路を通ったものと考えられる。
『吾妻鏡』には、1252年(建長4年)、宗尊親王が鎌倉に入るときに稲村路を通ったことが記されている。
『海道記』には、稲村路の様子を「険しい岩が重なり横たわる狭い間を伝わり進むと、岩に当たって打ち上げる波が花のように散りかかる」と記している。
後に、その不便さを解消するため、極楽寺の開山忍性が切り開いたとされているのが極楽寺切通ということであるが、開かれた時期は定かではない。
現在の極楽寺切通は、その旧状を留めていないが、かつては、成就院の山門前を寺とほぼ同じ高さで通っていたという。
極楽寺切通は、鎌倉から七里ヶ浜、腰越、片瀬を抜けて東海道へと通じ、京都への出発点となっていた。 |