鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その6
稲村ヶ崎
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岡戸事務所
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稲村ヶ崎は、
「光明寺裏山の展望」
、
「十王岩の展望」
、
「江ノ島稚児ヶ淵」
とともに、「かながわの景勝50選」に選ばれている。
大海の磯もとどろに寄する波
破れて砕けて裂けて散るかも
『金槐和歌集』
☆伝説!龍神に祈った新田義貞☆
由比ヶ浜
と
七里ヶ浜
を分ける稲村ヶ崎は、新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場。義貞が海に黄金の太刀を投げ入れて龍神に祈願すると、潮が引き、海上の北条軍もはるか遠くに流されたため、稲村ヶ崎を突破できたという伝説がある。
稲村ヶ崎碑
新田義貞の伝説は、尋常小学校の
唱歌「鎌倉」
にも「七里ヶ浜の磯づたい稲村ヶ崎名将の剣投ぜし古戦場」と歌われている。
稲村ヶ崎古戦場
鎌倉炎上〜新田義貞の鎌倉攻め〜
新田義貞伝説〜黄金の雌雄の太刀〜
稲村ヶ崎
鎌倉の四角四境祭
◎水難碑
明治43年、
七里ヶ浜
沖で起きた逗子開成中学のボートが転覆した海難事故で、12名が亡くなった。水難碑は、逗子開成学校同窓会が建てたもの。
以前は、
七里ヶ浜
の
行合川
の橋のたもとに、慰霊の卒塔婆が建てられていたという。
◎七里ヶ浜の哀歌
「真白き富士の嶺 緑の江ノ島」の歌は、逗子開成中学校生徒12人のために、鎌倉女学校の三角錫子教諭が作った歌で、合同葬儀で鎌倉女学校の生徒によって合唱された。
ボート遭難の碑
七里ヶ浜
◎ロベルト・コッホ記念碑
明治41年、弟子の北里柴三郎と鎌倉を訪れたドイツ人細菌学者ロベルト・コッホの記念碑。
霊山山
には「霊山園」と呼ばれた公園があって、眺望の良さで知られている場所だった。柴三郎はここにコッホを案内し、のちに記念碑を建てた。しかし、大正12年に起きた関東大震災によって崖崩れが起こり山容が変わってしまったといわれている。
記念碑は、昭和58年、鎌倉市医師会によってに
霊山山
から移転された。
〜稲村ヶ崎の磯づたいの道(稲村路)〜
忍性よって
極楽寺切通
が切り開かれる前までは、稲村ヶ崎の磯づたい(先端)を通って鎌倉への出入りが行われていた(稲村路)。
『海道記』には、「稲村といふ所あり。さかしき岩のかさなり臥せる浜をつたひ行けば、岩にあたりてさきあがる浪の花の如くにちりかかる。」とある。
『吾妻鏡』にも稲村路を通行したとする記載が多く、1252年(建長4年)の記事では、六代将軍となるため下向した
宗尊親王
が稲村ヶ崎を通って鎌倉に入り、浜鳥居の西を経て
下馬
に至ったことが書かれている。
〜ペリー来航と稲村ヶ崎〜
1853年(嘉永6年)、アメリカ合衆国の海軍艦隊が浦賀に来航した(黒船来航)。艦隊を率いてきたのはマシュー・ペリー提督。日本人からはペルリ(彼理)と呼ばれていたらしい。
この黒船来航で、稲村ヶ崎には長州藩によって砲台と見張番所が設けられた。
霊山
山頂には坂ノ下の村民が交替で見張り番をして、黒船がやってきたら半鐘を鳴らす手筈になっていたという。
稲村路と霊山山(霊山ヶ崎)
極楽寺から稲村ヶ崎へ
稲村ヶ崎・磯づたいの道
七里ヶ浜
稲村ヶ崎のイソギク
七里ヶ浜のハマヒルガオ
秋の稲村ヶ崎(2011/11/12)
稲村ヶ崎は、源頼朝が落馬した地ともいわれている。
☆伝説!茶店の絵図売り婆さん☆
稲村ヶ崎から
極楽寺
へと向かう道の曲がり角には、茶店があった。この茶店には、鎌倉絵図を出し講釈をして、その絵図を十二文で売りつける婆さんがいたそうだ。
江ノ島
からの遊覧客をつかまえるのに絶好の場所だったとみえて、3軒ほどの茶店があったらしい。
稲村路と霊山山(霊山ヶ崎)
極楽寺から稲村ヶ崎へ
稲村ヶ崎・磯づたいの道
七里ヶ浜
稲村ヶ崎のイソギク
七里ヶ浜のハマヒルガオ
秋の稲村ヶ崎(2011/11/12)
☆新田義貞☆
新田義貞は、足利尊氏と同じく
源義家
(八幡太郎義家)の子義国を祖とする源氏。現在の群馬県新田庄を領したことから「新田氏」を名乗る。
新田氏は、鎌倉御家人として仕えていたが、
源頼朝
の鎌倉幕府成立に非協力的であったことから、足利氏と比べるとその地位は低かった。
1333年(元弘3年)5月8日、後醍醐天皇の綸旨を受けて、新田庄生品神社で討幕の挙兵をした。
挙兵時は150騎程度だったといわれているが、軍を進めるに従いその数を増し、次々に幕府軍を破り進軍した。5月22日、大潮に乗じて稲村ヶ崎を突破し鎌倉に攻め入った義貞は、
北条高時
ら一族を
東勝寺
においての自刃に追い込み、鎌倉幕府を滅ぼした(参考:
鎌倉幕府の滅亡
)。
後醍醐天皇の建武の新政は、長くは続かず、
足利尊氏
を棟梁としての武家による政治が望まれるようになると、尊氏と義貞は敵対し、義貞は敗れて越前で最期を遂げた。
稲村ヶ崎古戦場
鎌倉炎上〜新田義貞の鎌倉攻め〜
新田義貞伝説〜黄金の雌雄の太刀〜
稲村ヶ崎
鎌倉の四角四境祭
参考:
聖福寺跡
(新田義貞が陣を布いたとされる場所)
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