鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉初詣特集 鎌倉江の島七福神



十一人塚

岡戸事務所
編集:岡戸事務所







十一人塚


 1333年(元弘3年)、討幕の挙兵をした新田義貞は、次々に幕府軍を破り鎌倉に迫った。

 鎌倉は三方を山で囲まれた天然の要害で、攻め込むことのできるのは、鎌倉七口と呼ばれる切通。戦いは5月18日から始まった。

 義貞は、極楽寺切通からの攻撃を大舘宗氏に命じた。

 一方、幕府は、極楽寺切通に大仏貞直を配置し防備に当たった。

 激戦の末、宗氏は極楽寺切通を突破したが、稲瀬川付近で北条軍に反撃され、宗氏以下11人が討死にした(稲村ヶ崎を突破した可能性も・・・)。

 この11人が葬られたとされるのが「十一人塚」で、十一面観音が安置され11人の霊を弔ったといわれている。 





稲瀬川の碑
稲瀬川の史跡碑

 『太平記』によれば、大舘宗氏が討死したのは5月19日。

 それから3日後の5月22日、新田軍は稲村ヶ崎を突破して東勝寺を攻め、北条高時を自刃に追い込んだ(参考:鎌倉幕府の滅亡)。



☆伝説!十一人塚の松☆

 十一人塚には、塚を包むように大きな松が枝を広げていた。

 その松は、おもしろいことに一本として枝が十文字に重なって見えなかった。

 大舘宗氏以下十一人が腹を十文字に切ったからなのだという。


十一人塚



 1959年(昭和34年)の極楽寺橋付近の造成工事で発見された鎌倉時代の武士のものと見られる人骨の一部が、この石の下に埋葬されているという。

十一人塚


鎌倉炎上〜新田義貞の鎌倉攻め〜(okadoのブログ)






十一人塚

鎌倉市稲村ガ崎1丁目

江ノ電「稲村ヶ崎」より徒歩5分


江ノ電で鎌倉



鎌倉:寺社・史跡巡り
稲村ヶ崎・極楽寺・坂ノ下
大きい地図を見るには・・・
右上のフルスクリーンをクリック。






鎌倉:寺社・史跡巡り


鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)

鎌倉の紅葉 新年イベント


カスタム検索