鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その6
聖福寺跡


編集:岡戸事務所
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聖福寺跡碑
 聖福寺は、1254年(建長6年)、五代執権北条時頼によって、関東の武運長久と二人の息子時宗、宗政の息災延命を祈願して建立された。
 時宗の幼名聖寿丸の「聖」と宗政の幼名福寿丸の「福」をとって聖福寺と名付けられたという。大勧進は鶴岡八幡宮別当の隆弁が務めた。隆弁は時宗と宗政の安産祈願の祈祷を行っている。また、隆弁の法号は「聖福寺殿」だったという。
 時頼は、息子の中でも次男時宗と三男宗政を大事にした。長男時輔は、側室の子であったため、時宗を嫡子として扱い、次いで宗政を時輔より上位に置いていた。
 廃寺となった時期は不明。
 (参考:藤沢市大庭の熊野神社も聖福寺跡だとする説がある。)

 1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めの折、義貞が陣を張ったのが聖福寺跡だったといわれている。義貞は、背後の陣鐘山に陣鐘が吊るし、打ち鳴らしたとされる。
 5月22日、義貞は稲村ヶ崎から鎌倉に進撃し、鎌倉幕府を滅亡させた。
 陣鐘山を越えれば極楽寺の月影地蔵堂にでる。そのまま尾根を進むと鎌倉山へ通じている。

鎌倉炎上〜新田義貞の鎌倉攻め〜(okadoのブログ)

 聖福寺は、江ノ電「稲村ヶ崎駅」から海と反対方向に進み15分程度。
 七里ヶ浜の海へと注ぐ音無川の上流。昔は、源流近くに滝があって、砂山のため音がしないことから「音無滝」と呼ばれていた。


音無橋





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