〜頼朝の二女乙姫の墳墓堂か・・・?〜
岩船地蔵堂は、大姫の妹乙姫(三幡)の墳墓堂ではないかという説もある。事実、そういう伝承もあるらしい。木造地蔵尊の胎内銘札にも息女と書いてあるのみで大姫とは書かれていない。
乙姫(三幡)の乳母夫は、中原親能で、亀ヶ谷に屋敷があったものと推定されている。その親能の亀谷堂に関する『吾妻鏡』の記事では、「姫君を亀谷堂の傍らに葬った。」と書かれている(1199年正治元年)。
同じく『吾妻鏡』によると、1199年(正治元年)5月、乙姫(三幡)が病気にかかったときに、京都から呼び寄せられた名医丹波時長が最初に滞在してのが、亀ヶ谷の中原親能の邸だったと書かれていることから、この周辺に親能の屋敷があったことが推定できる(参考:畠山重忠邸跡址)。
現在、この辺りは扇ヶ谷という地名だが、鎌倉時代には亀ヶ谷が一般的な呼び名であった。 |
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