鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その7
壽 福 寺


編集:岡戸事務所
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=源氏ゆかりの地《壽福寺》=
(臨済宗建長寺派)

 壽福寺は、1200年(正治2年)、源頼朝の妻北条政子が建立した。
 鎌倉五山第三位。壽福寺のある亀ヶ谷の地には、源頼朝の父義朝の屋敷があったとされ、頼朝は当初この地に御所を置こうと考えたが、土地が狭く、亡き父の御堂(岡崎義実による造立。)もあったことから大倉の地を選んだという。
 亀ヶ谷は、奥州征伐に向かう八幡太郎義家(源義家)が勝利を祈願し、白旗を掲げたという源氏山が背後にあり、源家父祖伝来の地でもある。
 開山の栄西は、日本に初めて臨済禅を伝えた人物で、宋から茶の種を持ち帰ったことでも知られる(茶道と禅道(茶禅一致)〜建長寺の茶筅供養〜(okadoのブログ))。
 茶の効用を記した『「喫茶養生記』は、三代将軍源実朝に献上され、喫茶の儀礼が広まる契機となった。源実朝北条政子、高浜虚子、陸奥宗光、大佛次郎の墓がある。
 1323年(元亨3年)、円覚寺で行われた九代執権北条貞時十三回忌供養には260人の僧が参列している(北条貞時十三回忌供養〜円覚寺〜(okadoのブログ))。

鎌倉観音巡礼第24番札所(十一面観世音)
鎌倉地蔵巡礼第18番札所(木造地蔵菩薩立像)
鎌倉十三仏第4番札所(普賢菩薩)
開山 栄西
開基 北条政子
本尊 宝冠釈迦如来(籠釈迦)

参考:鎌倉五山
参道

※木造地蔵菩薩立像(鎌倉二十四地蔵)、銅造薬師如来坐像 栄西禅師坐像は、鎌倉国宝館に寄託。

鶴岡八幡宮の神宮寺と壽福寺の薬師如来像(okadoのブログ)



壽福寺の開基・・・本当は誰か・・・?
 『吾妻鏡』には、北条政子源義朝の遺跡に壽福寺を建立しようとし、二階堂行光と三善康信(善信)が亀ヶ谷の地を巡検したことが記されている。
 また、逗子の沼浜亭(義朝の館)を壽福寺に移して与えたことや、十六羅漢図開眼供養に参列したことも記されている。
 こういったことから壽福寺は一般的に北条政子の開基とされているが、一方で、壽福寺境内に源頼家の廟所を載せた絵図なども発見されていて、頼家を開基とする説も有力なものとなっている。

源義朝の旧跡に建てられた壽福寺(okadoのブログ)



◎栄西
 開山の栄西(明庵栄西)は、比叡山延暦寺で天台宗を学んだ後、2度にわたって宋に渡り臨済禅を学んだ。帰国後、京都で禅を広めようとしたが延暦寺の反対に遭い鎌倉に下ってきた。
 しかし、鎌倉においても禅僧として迎えられたというより祈祷僧として北条政子や二代将軍源頼家の帰依を受けた。したがって、壽福寺も当初は、天台・真言・禅の道場として開かれている。
 頼家が開基となった京都の建仁寺も壽福寺と同じく、天台・真言・禅の三宗兼学だった。
 栄西没後の壽福寺は、弟子の退耕行勇ほか、蘭渓道隆、大休正念などの高僧が入り、七堂伽藍を供え、塔頭も14を数えたという。
 1215年(建保3年)没。

◎岡崎義実
 源頼朝の父義朝を弔う堂宇を造立した岡崎義実は、三浦義明の弟。相模国岡崎(現在の平塚市岡崎)を領し、頼朝の挙兵にも従った。石橋山の合戦では、嫡男の義忠が討死している。
 (参考:岡崎義実の墓無量寺天徳寺(真田尊)証菩提寺石橋山古戦場久成寺

源頼朝の新亭造営・・・大倉幕府(okadoのブログ)

◎仏殿
 宝暦年間(1751年〜64年)に建立されたといわれている。禅宗前栽の名残である仏殿前のビャクシン(柏槇)の古木は、市の天然記念物に指定されている。

◎籠釈迦(本尊釈迦如来坐像)
 本尊の釈迦像は、関東ではめずらしい乾漆仏で、別名「籠釈迦」と呼ばれている。籠の形の上に紙や布などを貼って作られたということからこの名があるが、実際は粘土の原型の上に布を貼って作られた。陳和卿作とも伝わる。


仏殿脇の柏槇の古木
◎仁王像
 釈迦像の横の仁王像は、明治の神仏分離によって、鶴岡八幡宮から移されたもの。室町時代の造像とされている。
 (参考:神仏分離と鶴岡八幡宮(okadoのブログ)

◎木造地蔵菩薩立像
 頭部から蓮華座までを一木で彫り出した珍しい像。鎌倉国宝館に安置。
 鎌倉地蔵巡礼第18番札所。

臨済宗の古刹壽福寺02011/04/30(okadoのブログ)

◎梵鐘
 壽福寺の梵鐘は、中国から伝来した「いぼなし鐘」という鐘だったが、1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めが起こると、後北条氏(小田原北条氏)によって取り上げられ、鉄砲の弾に使われてしまったと伝えられている。
 「いぼなし鐘」は、栄西が宋より持ち帰ったものとも伝えられている。

◎北条政子墓・源実朝墓
 裏山のやぐらには、北条政子源実朝の墓とされる五輪塔がある。
 源実朝のやぐらは、牡丹唐草の文様が彩色されており、「唐草やぐら」とか、「えかきやぐら」と呼ばれる。


北条政子

源実朝
参考: 安養院(北条政子宝篋印塔)
源実朝公御首塚(秦野市)


北条政子と源実朝の墓(okadoのブログ)  源実朝の木製五輪塔(okadoのブログ)
源実朝の首と七騎谷の伝説(okadoのブログ)  源頼朝の新亭造営・・・大倉幕府(okadoのブログ)
実朝桜・・・鶴岡八幡宮(okadoのブログ)


◎『喫茶養生記』
 上下2巻からなる茶の効用が書かれた書物。栄西によって書かれた我が国最古の茶書。
 1214年(建保2年)、栄西は、三代将軍源実朝が二日酔いで苦しんでいる時に、茶の効用を説いて茶をすすめ、この時に「茶徳の誉むるところの書」すなわち『喫茶養生記』を献上したと伝えられている。
栄西の喫茶養生記(okadoのブログ)
茶道と禅道(茶禅一致)〜建長寺の茶筅供養〜(okadoのブログ)

◎鎌倉十橋勝ノ橋」
 英勝寺を建てた「お勝の局」が架けたので勝ノ橋と呼ばれていた(参考:鎌倉十橋)。
 詳しくは写真をクリック


門前の庚申塔

源氏山碑
 壽福寺の背後は源氏山八幡太郎義家(源義家)が後三年の役の戦勝を祈願して源氏の白旗を掲げたことから「源氏山」と呼ばれるようになったという。



〜森林浴を楽しみながら古道を散策〜
葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース

大仏 ハイキングコース 源   氏   山   公   園 葛原岡神社 天柱峰 浄智寺
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浅間神社 佐助稲荷 銭洗弁天 仮粧坂 壽福寺 鎌倉中央公園 瓜ヶ谷やぐら群

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◎太田道灌首塚
 壽福寺から源氏山へと通ずるハイキングコースには、戦国武将太田道灌の首塚がある。
 壽福寺の隣にある英勝寺は、太田道灌の邸跡といわれている。
 参考:太田道灌の墓(伊勢原市)

太田道灌の首塚(okadoのブログ)


源氏山へと通ずるハイキングコース




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壽福寺:鎌倉市扇ガ谷1−17−7  0467(22)6607

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