鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その7
扇ヶ谷上杉管領屋敷跡


編集:岡戸事務所
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 英勝寺前のJR横須賀線踏切近くに「扇ヶ谷上杉管領屋敷跡碑」が建てられている。
 現在、この辺りは、「扇ヶ谷」と呼ばれているが、かつては「亀ヶ谷」と呼ばれていた。室町時代に上杉定正がこの地に住み、「扇谷殿」と呼ばれるようになったことから「扇ヶ谷」と呼ばれるようになったという。
 上杉家は、1252年(建長4年)、第六代将軍宗尊親王が鎌倉に下向する際に、公家であった上杉重房が親王に従って下向してきたのがそのはじまり。
 重房は宗尊親王が鎌倉を追放された後も鎌倉に留まり、武士として鎌倉幕府に仕えている(明月院の頂相彫刻「木造上杉重房坐像」は国の重要文化財)。


 重房は足利氏と婚姻関係を結び、重房の孫清子は、足利貞氏に嫁ぎ、尊氏直義を産んでいる。
 のちに足利尊氏が室町幕府を開き、鎌倉には子義詮が置かれるが、足利家中で権勢を得ていた上杉憲顕が執事となり義詮を補佐していた。
 やがて、義詮に代わり基氏が鎌倉に入ると、基氏は鎌倉公方と呼ばれ、その補佐役の関東管領には憲顕が就任している。以後、関東管領の地位は上杉家(扇谷・宅間・犬懸・山内)が世襲する。 


上杉重房 重顕 朝定 顕定 氏定 持朝 顕房 政具 定正 朝良 朝興 朝定


上杉重房と関東管領上杉氏(okadoのブログ)





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〜太田道灌と上杉定正〜
 JR横須賀線の線路を挟んだ反対側は英勝寺。戦国武将太田道灌の屋敷があったとされる。
 道灌は、扇谷上杉家の家老を務め、数々の戦に功績を残し、扇谷上杉氏の地位を高めた。しかし、その能力を恐れた上杉定正によって暗殺されている。
 道灌は江戸城や河越城を築いたことでも有名。英勝寺の裏山に道灌の首塚がある。
 参考:太田道灌の墓(伊勢原市)



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