鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その7
佐助稲荷神社


編集:岡戸事務所
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=夢のお告げ(出世稲荷)《佐助稲荷神社》=

 源頼朝がまだ伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。
 のちに頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、御家人畠山重忠に命じて社を建立させた(建立時期の詳細は不明。建久年間(1190〜1199年)と考えられている。)。
 2月の「初午の日」には、春の農作業開始の前に、豊作が祈願され、神楽が奉納される「初午祭」が行われる。

祭神
宇迦御魂命 大己貴命 佐田彦命 大宮女命 事代主命



源頼朝を助けた稲荷大明神(佐助ヶ谷)
初午祭・・・佐助稲荷神社




本殿
☆伝説!漁屋源十朗(夢のお告げ)☆
 昔、魚を売ることを業としていた源十朗の背負子(しょいこ)に中に、犬に追いかけられた狐が飛び込んできた。源十朗は中の魚が気にはなったが、犬を追い払い狐を助けてあげた。
 その晩、源十朗の夢の中にその狐が現れ、「魚売りをやめて佐助ヶ谷でダイコンを作れば大きな富が得られる」というお告げを受けた。
 俄かに信じ難いものであったが、源十朗は言われるがままにダイコンを作りはじめた。
 その冬に疫病が流行り、鎌倉中にひろまった。そんな時にある者の夢の中に神が現れ、「源十朗の作ったダイコンを食べれば病が治る」とお告げをしたことから、源十朗の作ったダイコンが飛ぶように売れ、大金持ちになったという。
 源十朗は狐に感謝し稲荷明神の社を建てた。それが現在の佐助稲荷ということだ。


佐助稲荷神社の霊験〜源十朗の大根物語
初午祭・・・佐助稲荷神社



◎佐助
 佐殿(すけどの)と呼ばれていた源頼朝を助けたことから、「佐助」といわれるようになったという。

縁結び十一面観音
 良縁に恵まれず出家した尼赤松幸運が若い男女に良縁があらんことを祈って彫ったといわれる「縁結び観音」。
 5月18日に開帳されます。

佐助稲荷神社の秘仏〜縁結十一面観音〜(okadoのブログ)
縁結び十一面観音(okadoのブログ)

◎霊狐泉
 稲荷山は、麓の田畑を潤す水源であった。里人は、この生命の湧き水を「霊狐の神水」と呼んだという。現在も清水が湧き出ている。
 霊狐泉(okadoのブログ)


祠群



〜森林浴を楽しみながら古道を散策〜
佐助稲荷神社の裏山は、葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースへ通じています。

葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース

大仏 ハイキングコース 源   氏   山   公   園 葛原岡神社 天柱峰 浄智寺
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浅間神社 佐助稲荷 銭洗弁天 仮粧坂 壽福寺 鎌倉中央公園 瓜ヶ谷やぐら群

裏山を上ると葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース



近くには・・・。

国清寺跡
 稲荷道の南の山裾あたりには、上杉憲顕が建てた国清寺があったといわれている。文覚の草庵がその前身とされ、応永23年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱によって焼失したいう。
 上杉禅秀は、鎌倉公方足利持氏と対立し、乱を起こして敗れた。これによって、山内、扇谷とともに勢いのあった犬懸上杉家は没落した(参考:国清寺(伊豆の国市))。

蓮華寺跡
 蓮華寺は、四代執権北条経時が開山に然阿良忠を迎え創建した。その後、寛元元年(1243年)に材木座に移され光明寺と改められた。蓮華寺については、北条時頼が経時の菩提を弔うために創建したという説もある。

松谷寺と松谷文庫跡
 松谷寺の詳細はよくわかっていないが、金沢文庫の書物から、寺の中に「松谷文庫」があったと伝えられている。
 松谷文庫は「佐介文庫」とも呼ばれ、金沢文庫と同じ時代にできたと考えられ、北条一族の佐介氏が寺と文庫を建てたものと思われる。

稲荷みち(佐助稲荷神社参道:大町小路)
銭洗弁財天宇賀福神社の周辺を散策
葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース:その2






佐助稲荷神社:鎌倉市佐助2−22−12

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