鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その7
多宝寺址
〜覚賢塔とやぐら群〜


編集:岡戸事務所
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=幻の大寺《多宝寺》=
(真言律宗)

 浄光明寺の東には、多宝寺ヶ谷と呼ばれる谷戸があって、かつては多宝寺があった。
 極楽寺称名寺(横浜市金沢区)と並ぶ鎌倉の真言律宗の主要な寺であったと考えられている。 

 多宝寺は、1262年(弘長2年)ころに創建されたらしく、いつまで存続していたかについては不明。
 北条業時(重時の子)の招きで忍性が開山となったと伝えられている。
 『新編鎌倉志』には、「多宝寺ヶ谷という所あり、寺はなし」と書かれており、江戸時代にはすでに詳細が不明となっていたらしい。また、『新編相模国風土記稿』には、「浄光明寺の支院に多宝寺と伝えるありしが、今廃して覚賢塔のみあり」と記している。
 覚賢塔の前面に分布する「やぐら」からは、応永年間(1368〜74年)の板碑が発見されていることから、室町時代の初めころまでは存続していたものと考えられる。
 現在、寺址には日蓮宗妙伝寺が建てられている。



◎覚賢塔(多宝寺長老「覚賢」の五輪塔)
 多宝寺長老「覚賢」の五輪塔。国の重要文化財に指定されている。
 最近まで忍性の五輪塔と言われてきたが、昭和51年の修復のときに、内部からみつかった銅製の瓶器のひとつに「多宝寺覚賢長老遺骨也嘉元4年3月16日入滅」と彫られていたことから、1306年(嘉元4年)に入滅した覚賢の五輪塔であることが判明した。
 高さ約3メートルの巨大な安山岩製の五輪塔で、極楽寺の忍性墓にも匹敵するほどの大きさである。覚賢が名僧であったことをしのばせるもので、多宝寺がいかに大きな寺であったかを想わせる。
 覚賢塔の崖下一帯には、やぐら群が存在し、「多宝寺址やぐら群」と呼ばれている。


覚賢塔


多宝寺址やぐら群

 覚賢の五輪塔の下一帯が多宝寺址やぐら群。鎌倉後期から室町初期にかけて、多宝寺関係の僧侶が葬られたと考えられている。
 五輪塔、常滑壷、かわらけ、板碑などが出土し、貴重な資料とされている。








 浄光明寺周辺には多宝寺の他に、東林寺があって律宗の寺として栄えていた。また、海蔵寺手前の清涼寺ヶ谷には、西大寺流律宗の叡尊が滞在したという新清涼寺釈迦堂があったと伝えられている。


浄光明寺

東林寺跡

新清涼寺跡





 多宝寺址には、現在、日蓮宗の妙伝寺が建てられている。昭和49年に東京都文京区白山より移転してきた


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