鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その8
円 覚 寺


編集:岡戸事務所
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=めでたい鹿のお山《円覚寺》=
(臨済宗円覚寺派大本山)


仏殿選仏場
(塔頭「松嶺院」からの眺め)

円覚寺の塔頭
 円覚寺は、鎌倉五山第二位。
 元寇(文永・弘安の役)によって死んだ兵達の菩提を弔うため、1282年(弘安5年)、八代執権北条時宗によって建立され、開山には宋より無学祖元が招かれた。
 寺名の由来は、起工の際に地中から「円覚経」を納めた石櫃が出てきたことによる。
 鎌倉幕府の祈願所として発展し、幕府滅亡後は、夢窓疎石が住職となり、後醍醐天皇の力もあって繁栄し、42の支院を持つ寺となった。
 1526年(大永6年)、里見実堯の来襲では大きな打撃をうけ、全山が焦土と化した。現在の堂宇は、江戸時代に再建されたもので、大正12年の関東大震災で倒壊したが、総門、三門、舎利殿などは復元された。
 山門(三門)仏殿方丈が一直線に並ぶ「禅宗様式」となっている(参考:円覚寺の伽藍配置)。

鎌倉観音巡礼第33番札所(十一面観世音:佛日庵))
鎌倉地蔵巡礼第13番、第14番札所(手引地蔵、延命地蔵)

開山 無学祖元(仏光国師)
開基 北条時宗
本尊 宝冠釈迦如来

鎌倉四大寺


無学祖元(仏光国師)・・・円覚寺の開山忌
隆弁の予告と北条時宗の誕生
北条得宗家の嫡子として誕生した北条時宗
宝物風入・・・円覚寺
山内荘と北鎌倉の禅寺
円覚寺の創建
武家の古都・鎌倉の世界文化遺産推薦)




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白鷺池
 JR横須賀線によって分けられているが、線路を挟んだ反対側の白鷺池も円覚寺の境内。
 白鷺に化身した鶴岡八幡宮の神霊が、開山の無学祖元を導いたとされるのがこの池。正続院前の妙香池などとともに国の名勝に指定されている。

無学祖元と白鷺池〜北鎌倉円覚寺〜(okadoのブログ)

◎総門
 円覚寺の山号「瑞鹿山」(ずいろくさん)の額が掲げられている。
 開山無学祖元の創建開堂にあたっての法話に、山中から白鹿が出てきてこれに連なったことから、この名が付けられたという。


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桂昌庵
 塔頭。第49世承先道欽の塔所。
 十王像が安置されているため、「十王堂」または「閻魔堂」と呼ばれている。現在は、弓道場にもなっている。
 桂昌庵の十王像は、鎌倉十橋の一つ「十王堂橋」付近にあった十王堂に安置されていた像と伝えられている。


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山門(三門)
 山門は、三解脱門の略で「三門」とも書く。涅槃(悟り)に至るために通過しなければならない三つの関門(空・無相・無願)のこと。
 楼上には十一面観音や十六羅漢像が安置されている。「円覚興聖禅寺」の額は伏見上皇の勅筆と伝えられている。
 天明年間(1781〜89年)、第189世誠拙周樗によって再建された。2階の軒の「たるき」が平行ではなく扇の骨を開いたように並べられているのが特色。


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仏殿
 仏殿(大光明宝殿)は、昭和39年に再建された鉄筋コンクリート造。本尊宝冠釈迦如来が安置されている。扁額「大光明宝殿」は、後光厳天皇の勅筆と伝えられる。
 かつて仏殿の裏には法堂もあって、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並んでいた(禅宗様伽藍配置 参考:円覚寺の伽藍配置)。
 仏殿前のビャクシンの古木は、市の天然記念物(参考:円覚寺の名勝庭園)。

建長寺・円覚寺の伽藍配置(okadoのブログ)


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◎白龍の図
 仏殿の天井画「白龍の図」は、日本画家前田青邨監修、守屋多々志揮毫。
 参考:雲龍図 前田青邨筆塚(東慶寺)

◎法堂跡
 仏殿の背後の杉林には、法堂(はっとう)があった。法堂は住持が説法を行うところ。
 1323年(元亨3年)、円覚寺で行われた北条貞時十三回忌供養の一環として、法堂の落慶供養が行われている(参考:円覚寺の伽藍配置)。

北条貞時十三回忌供養〜円覚寺〜(okadoのブログ)
円覚寺のヒメツルソバ(okadoのブログ)
円覚寺法堂跡の「ぼたん」2012/04/28(okadoのブログ)


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方丈
 本来、方丈は住職の居間であるが、現在では、11月の宝物風入や儀式などに使用されている。

 宝物風入・・・円覚寺(okadoのブログ)


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選仏場
 座禅場のこと。七堂伽藍の古い形式を伝え仏殿西側に配置されている。仏殿が再建されるまで、ここに本尊宝冠釈迦如来が安置されていた。現在は薬師如来が安置されている(参考:円覚寺の仏殿)。


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松嶺院「山野草の花の寺」
 塔頭。第150世叔悦禅懌の塔所。
 もとは「不閑軒」といった。第40世大拙祖能の木像が安置されている。
 普段は拝観できないが、春と秋には季節の草花が楽しめる。
 作家有島武郎が「或る女のグリンプス」(のちの「或る女」に改題)の後編をここで書いた。
 俳優佐田啓二、女優田中絹代、オウム真理教の被害者坂本弁護士の墓がある。

円覚寺塔頭松嶺院の「ぼたん」2012/04/28(okadoのブログ)


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済蔭庵(居士林)
 塔頭。第58世曇芳周応の塔所。
 現在は、柳生流の剣道場を移築した在家の人々のための禅道場「居士林」となっている。剣道場は、明治時代に柳生徹心居士が寄進した。


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正続院
 塔頭。開山無学祖元(仏光国師)の塔所。
 九代執権北条貞時が仏舎利を納めるために建てた祥勝院という堂宇であったが、後醍醐天皇の勅命により夢窓疎石が建長寺にあった無学祖元の塔頭「正続院」をここに移した。
 境内には、雲水の修行道場である「正法眼堂」や日本最古の唐様(禅宗様)建築の「舎利殿」がある。
 舎利殿奥にある開山堂の「木造仏光国師(無学祖元)坐像」は、頂相彫刻の秀作で国の重要文化財。
 鎌倉地蔵巡礼第13番札所(手引地蔵)


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舎利殿
 釈迦の骨(舎利)を納めていることから舎利殿という。
 建築物としては鎌倉で唯一の国宝。廃寺となった尼寺の太平寺の仏殿を移築した。
 サワラ木葺の屋根は日本建築にはない急勾配なものであるが、これが禅宗様の特色であり、屋根の四方が反り上がりは、尼寺の仏殿らしい女性的なものに造られている。
 納められている「仏舎利」(右の奥歯)は、三代将軍源実朝が宋の能仁寺から請来したものとされている(もとは、実朝が建立した大慈寺(廃寺)に納められていた。)。

円覚寺舎利殿(okadoのブログ)  円覚寺塔頭正続院2011/05/03(okadoのブログ)
鎌倉の頂相彫刻(okadoのブログ)


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佛日庵
 塔頭。八代執権北条時宗(開基)の廟所。時宗の才能にちなんで「学問の神」・「開運の神」として崇められてきた。
 子の貞時(九代執権)、孫の高時(十四代執権)も合葬され、『新編相模国風土記稿』によると、堂の下に3人の遺骨を納めた石櫃があると伝えられている。
 境内では、4月と10月の4日に時宗をしのぶ茶会が開かれる。
 春先に境内に咲くハクモクレンは、「阿Q正伝」の作者魯迅から贈られた株で、大佛次郎の「帰郷」にも描かれている。
 鎌倉観音巡礼第33番札所(十一面観世音) 鎌倉地蔵巡礼第14番札所(延命地蔵)

茶道と禅道(茶禅一致)〜建長寺の茶筅供養〜(okadoのブログ)
莫煩悩〜元寇と北条時宗と無学祖元〜(okadoのブログ)


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黄梅院
 塔頭。第15世夢窓疎石の塔所。
 夢窓派の関東における拠点となった。
 もとは覚山尼(八代執権北条時宗の妻)が、時宗の菩提を弔うために華厳塔(三重塔)を建立したが、その後、足利氏によって夢窓国師の塔所が建立された。
 室町幕府三代将軍足利義満によって二代将軍足利義詮の遺骨が分骨されている。
北条時宗供養の華厳塔(okadoのブログ)

◎白鹿洞
 円覚寺の山号は「瑞鹿山」というが、これは無学祖元の法話を聞くために白鹿が集まったことから、「めでたい鹿のお山」という意味がある。
 白鹿洞(okadoのブログ)


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妙香池
 妙香池は、創建当初から知られた放生池。夢窓疎石の作庭。国の名勝に指定されている。江戸時代の絵図に基づき、「虎頭岩」と呼ばれる岩盤を景観の中心として復元された。


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帰源院
 塔頭。第38世傑翁是英の塔所。
 夏目漱石が釈宗演のもとに参禅し、のちに、この時の経験を小説「門」に書いている。
 境内には「仏性は白き桔梗にこそあらめ」と書かれた漱石の句碑がある。
 作家島崎藤村もここに出入りし、そのときの様子を「春」に書いている。
 釈宗演は、シカゴの万国宗教大会で講演し、欧米に禅(ZEN)を紹介した。講演を英訳したのは、宗演の弟子で東慶寺に眠る鈴木大拙。

釈宗演に参禅した夏目漱石(okadoのブログ)



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洪鐘(梵鐘)
 建長寺常楽寺の梵鐘とともに鎌倉三名鐘の一つに数えられ国宝。
 高さ2.5メートル。九代執権北条貞時の寄進。撰文は西澗子曇、鋳物師は物部国光。関東一ともいわれる大きさの梵鐘の鋳造は失敗を繰り返したため、貞時は、七日七夜江ノ島弁財天に参籠し、その加護によって三回目の鋳造で成功した。
 洪鐘を吊す鉄環は、刀匠正宗の作と伝わる。
 (参考:除夜の鐘:鎌倉 刃稲荷 正宗工芸)。

大弁財天と洪鐘〜円覚寺〜(okadoのブログ)  鎌倉三名鐘(okadoのブログ)
鎌倉・・・除夜の鐘(okadoのブログ)


◎洪鐘弁天堂
 北条貞時は、洪鐘鋳造の成功に感謝して弁天堂を建立した。
 洪鐘の前の弁天堂には、江ノ島にあった弁財天が円覚寺の鎮守として祀られている。
 この弁財天は弘法大師の作と伝えられ、江ノ島の弁財天とは夫婦弁天とも呼ばれ、61年ごとに出会うことになっている(洪鐘祭)。最近では昭和40年に行われた。
 参考:円覚寺梵鐘

◎蘭亭居士墓
 江戸時代の漢詩人高野惟馨(いけい)の墓。
 荻生徂徠の弟子となったが、17歳で失明してしまう。以後、詩作に専念し、同門の服部南郭と並び称される詩人となり「蘭亭」と号した。
 鎌倉を愛した蘭亭は、円覚寺の僧などから草庵「松濤館」を提供してもらい、1年の大半をそこで過すようになった。
 円覚寺の山が気に入り、生前に墓を建て門人にここに葬るよう頼んで没した。
 弁天堂左にその墓がある。

円覚寺の塔頭
  禅宗では、高僧の塔があるところを塔頭という。円覚寺の塔頭は、その繁栄時には42院を数えたが、現在は17の塔頭が残されている。

円覚寺横道の石仏群〜okadoのブログ)






ボタン園(法堂跡) 松嶺院からみた三門 百観音

円覚寺法堂跡のボタン(okadoのブログ)
雪の円覚寺2012/02/29(okadoのブログ)



ヒメツルソバ

イソギク(松嶺院)

ノボタン(松嶺院)

キブシ ボタン



雪の円覚寺
≪主な行事≫
2月15日:涅槃会 4月4日:時宗公毎歳忌
4月8日:降誕会(花まつり) 10月3日:開山国師毎歳忌
10月15日:羅漢・舎利講式 11月3日前後3日間:宝物風入

雪の円覚寺2012/02/29(okadoのブログ)


鎌倉の臨済宗の寺  円覚寺の塔頭  禅〜自身で開く悟り:鎌倉新仏教〜






円覚寺:鎌倉市山ノ内428  0467(22)1032

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