鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その8
成 福 寺
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=鎌倉で唯一の浄土真宗《成福寺》=
(浄土真宗)
映画俳優で、大船に暮らしていた笠智衆はこの寺に眠っている(参考:
小津安二郎邸
)。
成福寺は、三代執権
北条泰時
の子泰次の開山。
泰次は、天台宗の僧として裏山の「亀の窟(かめのいわや)」で修行していたが、親鸞の教えを受け、成仏の名をもらい天台宗から浄土真宗に改宗した。
木造聖徳太子像は、親鸞から与えられたものと伝わる。
鎌倉幕府が滅亡した時の住職が、十四代執権
北条高時
の弟(成円)であったことから、寺を追われ、70年あまり無住だったという。
開山
成仏
開基
成仏
本尊
阿弥陀如来
鎌倉成福寺のサルスベリ(okadoのブログ)
◎山門
茅葺きの山門は「四足門」(しそくもん)と呼ばれるもの。
四足門とは、二本の親柱の前後に、それぞれ二本の控柱のある門。
江戸時代初めに、山崎の領主の崇高院が自分の館の門を寄進したものといわれている。
崇高院は奥平氏の娘といわれているが詳しいことはわからない。山崎には
「お塔さま」
と呼ばれる塔があって、崇高院の墓ではないかといわれている(参考:
昌清院
)。
◎聖徳太子像
浄土真宗の寺では、宗祖の親鸞が聖徳太子を敬っていたため、本尊の右側に安置されているという。成福寺の聖徳太子像は、16才の太子の像で、親鸞が鎌倉に来た際に与えられたものだと伝えられている。
◎亀の窟
成仏は、三代執権
北条泰時
の子で、「沙門院泰次入道」といわれていた。天台宗を学び境内に残る「亀の窟」で修行をつんだと伝えられている。
東国で布教をしていた師の親鸞は、1232年(貞永元年)、
北条泰時
の要請によって鎌倉に入り、「一切経の校合」に参加したといわれている(
北条政子
の十三回忌供養に一切経五千巻の書写が行われ、誤りがないかを照らし合わせる作業を行った。)。
このとき泰次は、親鸞の弟子となり「成仏」という名をもらったという。
親鸞は、
明王院
で行われた
北条政子
十三回忌供養にも参加したという説もある。
◎唯一の浄土真宗
鎌倉にも浄土真宗の寺がいくつかあったが、小田原北条氏によって、「浄土真宗の寺は、本堂が平地に建ち、挙兵の場となる危険がある」として迫害されたため、武蔵や三浦に移っていったという。
九代住職宗全は、迫害され焼き討ちにあい、伊豆に逃れ、その地に成福寺を建てたとされている(現在の
伊豆の国市韮山の成福寺
がそれである。)。
宗全は、のちに鎌倉に戻るまでその寺で暮らしたというが定かではない。
忠魂碑
東郷平八郎書
近くに→→→
水堰橋(せいしく橋)
源頼朝
の軍勢が隊列を整えたと伝わるところ。
台・小袋谷の散策
成福寺:鎌倉市小袋谷2−13−33 0467(46)3020
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