鎌倉手帳(寺社散策)

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浄 智 寺
=鎌倉五山第四位=

岡戸事務所
編集:岡戸事務所

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浄智寺


 浄智寺は、鎌倉五山第四位の寺。

 五代執権北条時頼の三男宗政の菩提を弔うため、夫人と子師時が創建した(宗政は師時の父)。

 開山に招かれたのは、南洲宏海であったが、任が重いとして、師の大休正念を迎えて入仏供養を行い、既に世を去っていた師の兀菴普寧を開山としたことから、三人の名が連ねられている。

 兀菴(ごったん)はよく揉め事を起こし、「ゴタゴタ」の語源となった和尚。

 二階に花頭窓のある鐘楼門(山門)は珍しく、曇華殿(仏殿)には本尊の三世仏如来坐像が安置されている。


開山
南洲宏海 大休正念 兀菴普寧
開基
北条宗政 北条師時
本尊
三世仏如来


鎌倉観音巡礼
(第31番札所(聖観世音))

鎌倉・江の島七福神
(布袋尊)

鎌倉地蔵巡礼
(第12番札所(聖比丘地蔵))

鎌倉十三仏
(第6番札所(弥勒菩薩))


鎌倉の臨済宗の寺





〜浄智寺の開山と開基〜

 浄智寺がいつ創建されたのかは定かではないが、1281年(弘安4年)以降の創建と考えられている。

 開山も開基も複雑な寺であるが、開山は兀菴普寧(ごったんふねい)、請待(しょうたい)開山が大休正念(だいきゅうしょうねん)、準開山が南洲宏海(なんしゅうこうかい)ということのようである。

 開山の兀菴普寧は、1260年(文応元年)に宋より来日し、五代執権北条時頼に招かれて建長寺二世となったが、1263年(弘長3年)に時頼が亡くなると、1265年(文永2年)には帰国してしまったという。

 開基とされる北条宗政はまだ若く、師時はまだ生まれていないときのこと。

 創建当時の経緯は定かではないが、若くして亡くなった北条宗政(五代執権北条時頼の三男)の未亡人が、宗政と子師時を開基とし、南洲宏海を開山に招いたが、宏海はまだ若年だからという理由で円覚寺二世の大休正念に供養を行ってもらい、師であった兀菴普寧を開山としたという説が妥当だろうと考えられている。


十代執権北条師時(okadoのブログ)



浄智寺総門
総門
浄智寺甘露ノ井
甘露ノ井
(鎌倉十井)

浄智寺山門
山門
浄智寺曇華殿
仏殿
(曇華殿)

浄智寺庫裏
庫裡
浄智寺布袋尊
布袋尊


 浄智寺の盛時には、塔頭が11院あったといわれ、1323年(元享3年)に行われた九代執権北条貞時十三回忌供養には、224人もの人数が参列したと伝えられている。

 この人数は壽福寺に次ぐ人数で、鎌倉五山の順位と同じく四位の数であったという。

 歴代住持も、一山一寧、夢窓疎石、清拙正澄などの高僧が入山している。


北条貞時十三回忌供養〜円覚寺〜(okadoのブログ)



浄智寺狸塚
狸塚
浄智寺横井戸
墓地奥の横井戸

 浄智寺裏山には、タヌキやハクビシンが生息していて、時々、車にはねられたりして死んでいる。
 そんな動物たちを葬ったのが狸塚。



浄智寺に住んだ小倉遊亀と小津安二郎

小倉遊亀邸の門
小倉遊亀
小津安二郎
小津安二郎







宝  物

木造三世仏坐像
(県重文・参考:仏殿

木造聖観音立像
(参考:仏殿

木造韋駄天立像
(市重文・土紋装飾鎌倉国宝館に寄託)

木造地蔵菩薩坐像
(国重文・鎌倉二十四地蔵鎌倉国宝館に寄託)



浄智寺ハクウンボク
花・景色



森林浴を楽しみながら古道を散策

葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース
葛原ヶ岡・大仏
ハイキングコース
天柱峰
天柱峰


 葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースは、浄智寺から葛原ヶ岡を抜けて鎌倉大仏まで通じるハイキングコース。

 コース上には葛原岡神社源氏山公園銭洗弁財天佐助稲荷神社などがある。

 天柱峰は、浄智寺の住職を勤めた竺仙梵僊ゆかりの場所。






浄智寺
浄智寺

鎌倉市山ノ内1402
0467(22)3943

北鎌倉駅より徒歩10分



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