 |
応永年間の創建。等覚寺の山号「休場山」は、梶原景時が休んだ地であるからと伝わる。茅葺きの山門は薬医門。
「出世子育て地蔵」は江戸時代のもので、参詣すれば子のない人は子を授かり、子のある人はその子供が出世するといわれ、非常にご利益がある地蔵として信仰を集めた。
明治時代には、境内に「訓蒙学舎」という学校が建てられ、これが現在の深沢小学校の前身となっている。
境内には、新田義貞の鎌倉攻めで死んだ武士の供養塔がまつられている。
等覚寺からほど近い深沢小学校裏のやぐらには、梶原景時の墓と伝わる五輪塔があって、景時とその一族の墓とされている。 |