鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その10
常 楽 寺


編集:岡戸事務所
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=北条泰時ゆかりの寺《常楽寺》=
(臨済宗建長寺派)

仏殿
 阿弥陀如来と脇侍の観音菩薩、勢至菩薩、蘭渓道隆像が安置されている(詳しくは写真をクリック)。
 常楽寺は、三代執権北条泰時が、1237年(嘉禎3年)、妻の母の供養のために建てた「粟船御堂」を前身としている。
 その供養には、源頼朝北条政子が帰依した退耕行勇が導師を務めた。
 1242年(仁治3年)に亡くなった泰時もこの地に葬られている。
 のちに、五代執権北条時頼が、中国宋から来日し壽福寺に寓居していた蘭渓道隆を招き、禅の道場が開かれた。
 道隆は、建長寺を開山する以前に、この地で禅を広めていたので、常楽寺は「建長寺の根本」と称されている。
 仏殿の雲龍の図は、狩野雪信作(参考:雲龍図)。

開山 蘭渓道隆(大覚禅師)
開基 北条泰時
本尊 阿弥陀三尊

墨書が見つかった阿弥陀三尊像・・・常楽寺(okadoのブログ)



山門の額
 北条泰時の建てた「粟船御堂」は、退耕行勇が導師を務めたことから、宗旨は密教系であったといわれている。
 「粟船」は「大船」の古名で、「青船」とも呼ばれていた。昔の大船は入り江で、粟を積んだ船が繋がれ、それが山のように見えたことから「粟船」と呼ばれるようになったと伝えられている。

◎山門
 茅葺きの四脚門。
 17世紀ごろの建立といわれ、鎌倉市の文化財に指定されている。
 




文殊堂
詳しくは写真をクリック
◎文殊菩薩(日本七文殊)
 秘仏の木造文殊菩薩坐像は、1月25日に行われる「文殊祭」に開帳される(県重要文化財)。
 この文殊菩薩の頭は、開山蘭渓道隆が宋より持参し、胴体は自らが作ったものであると伝えられている。
 文殊菩薩が安置されている文殊堂は、英勝寺より移築されたもの。

 常楽寺の新年行事〜文殊祭〜(okadoのブログ)

☆伝説!視力を奪われた龍☆
 常楽寺の仏殿天井画は、狩野雪信作の「雲龍図」である。
 しかし、その目には光がない。昔、夜になると動き出したため、両目の視力を奪われたのだという(参考:雲龍図)。



蘭渓道隆と乙護童子の伝説

◎禅宗庭園と色天無熱池
 仏殿の右奥には禅宗庭園が広がり、池は、色天無熱池という。
 色天無熱池には、蘭渓道隆につき従っていた乙護童子が、この池で道隆の衣類を洗濯し空中に投げると、まるで物干竿でもあるかのように宙に浮いたといわれている。
 乙護童子は、江ノ島弁財天が道隆を守護するためにつけた給仕役。
 建長寺塔頭妙高院には、乙護童子像が安置されている。




開山お手植えの銀杏
☆伝説!乙護童子☆
 蘭渓道隆の給仕役である乙護童子は、江ノ島弁財天のイタズラによって美女に変身させられてしまった。
 そうとは知らない童子は、道隆に仕えていたが、「道隆が美女をはべらせて寵愛している」という噂が広まってしまった。
 一連の成り行きを知った童子は、身の潔白を示そうとして、白蛇と化し、仏殿前の銀杏の木を七廻り半めぐり、仏殿わきの色天無熱池を尾で叩いたということだ。 





◎梵鐘
 かつて、仏殿の右には鐘楼があって銅鐘が吊されていた。1248年(宝治2年)、北条時頼が祖父泰時の供養のために鋳造したもので、建長寺梵鐘円覚寺梵鐘とともに鎌倉三名鐘の一つに数えられ、国の重要文化財に指定されている。現在は鎌倉国宝館に寄託している。
 鎌倉三名鐘の中では一番古い鐘。

鎌倉三名鐘(okadoのブログ)

◎北条泰時墓
 開基北条泰時は、1242年(仁治3年)に亡くなりこの地に葬られた。法名は「常楽寺殿」。
 三代執権となった泰時は、「連署」「評定衆」の設置、武家の法典である「御成敗式目」(貞永式目)の制定を行い、北条執権体制の基礎を固めた人物。
 和賀江嶋の築港や巨福呂坂朝夷奈切通を開いた。
 仏殿背後に三基並ぶ石塔の左が泰時の墓。中央は龍淵和尚、右が大応国師(南浦紹明)の墓。
 龍淵和尚は中興開基と伝えられ、大応国師は建長寺十三世を務めた高僧。


北条泰時の御成敗式目(okadoノブログ)
北条泰時の政治・・・連署と評定衆の設置(okadoのブログ)
墨書が見つかった阿弥陀三尊像・・・常楽寺(okadoのブログ)



木曽塚
 木曽義仲の子義高は、人質として鎌倉に送られ、源頼朝の娘大姫の婿となった。
 京において源義経らが義仲を討つと、頼朝は義高を殺すよう命令を下す。
 北条政子は、密かに義高を逃がしたが、武蔵国(埼玉県)の入間川で斬首された(大姫が逃したという説もある。)。
 首は常楽寺の裏山(粟船山)に葬られたとされ木曽塚として残されている。
 (参考:木曽義高の誅殺 岩船地蔵堂
  詳しくは写真をクリック。

☆伝説!政子の怒り☆
 義高が殺されたことで、大姫は大変傷つき、水さえも口にしないほど衰弱した。政子は義高を討った堀親家の家臣藤内光澄を引き出し首を斬ったということだ。


源頼朝の失政か?・・・大姫入内問題(okadoのブログ)
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源義仲と源頼朝(okadoのブログ)


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姫宮墓
 常楽寺背後の粟船山中腹にある北条泰時の娘の墓。
 一説には、源頼朝の長女大姫の墓であるともいわれている。




大船の古道(常楽寺〜熊野神社・多聞院〜切通〜六国見山)


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常楽寺:鎌倉市大船5−8−29  0467(46)5735

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