鎌倉手帳(寺社散策)
鎌倉寺社巡り その10
木 曽 塚
〜木曽義高の墓:鎌倉〜
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常楽寺
の裏山(粟船山)には、木曽義高の墓と伝わる塚がある。もともとはここから離れた木曽免と呼ばれていた田の中にあって、五輪塔が建てられていたが、1680年(延宝8年)、土地の所有者石井次左衛門が塚を掘ってみると青磁の骨壺が出てきた。「これは義高の骨だ」ということになり、
常楽寺
の裏山に葬ったと伝えられている。
木曽義高(清水冠者)は、木曽義仲の長男。
1183年(寿永2年)に挙兵した木曽義仲は、
源頼朝
と対立したが、長男義高を人質として差し出すことで和睦した。義高は、名目上、大姫の婿ということで鎌倉に送られてきている。
しかし、頼朝は義仲討伐の兵を京に派遣し、
源義経
らが義仲を討つと、鎌倉の義高をも誅殺した(参考:
木曽義高の誅殺
岩船地蔵堂
)。
☆伝説!政子の怒り☆
義高が殺されたことで、大姫は大変傷つき、水さえも口にしないほど衰弱した。
政子
は義高を討った堀親家の家臣藤内光澄を引き出し首を斬ったということだ(参考:
岩船地蔵堂
)。
木曽義高の誅殺と大姫(okadoのブログ)
大姫の病気治癒祈願〜源頼朝・・・日向薬師を参詣〜(okadoのブログ)
〜木曽免〜
塚周辺は、「木曽免」と呼ばれていたが、これは、義高にちなんで「貢税が免ぜられていた」ことによるといわれている。
姫宮墓
常楽寺
裏山(粟船山)の中腹には、姫宮の祠がある。
北条泰時
の娘の墓とされてはいるが、一説には、
源頼朝
の長女大姫の墓であるともいわれている。
源頼朝の失政か?・・・大姫入内問題(okadoのブログ)
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