鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その10
北野神社


編集:岡戸事務所
カスタム検索


〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







=山崎天神《北野神社》=

 北野神社は、山崎天神とも呼ばれ、暦応年間、夢窓疎石が京都の北野天満宮を勧請したものと伝えられる。北野神社の建つ山は天神山と呼ばれている。
 その後、1362年(貞治元年)、円覚寺塔頭黄梅院主によって再建され、村の鎮守となった。江戸時代には「洲崎神社」ともいわれていたらしい。
 『新編相模国風土記稿』によると、岩瀬の五所明神の牛頭天王が合祀されたと記されている。
 夢窓疎石は北野神社とともに宝積寺も建立し、十一面観音像が本地仏として安置されていたというが、明治の神仏分離によって、現在は円覚寺塔頭如意庵末寺の昌清院に移された。

祭神 菅原道真 素戔嗚命

神明社

◎宝篋印塔
 1405年(応永12年)の銘がある宝篋印塔で、市の重要文化財に指定されている。宝積寺の僧教音によって建てられたといわれている。
 四方に薬師如来(東方)、釈迦如来(南方)、阿弥陀如来(西方)、弥勒菩薩(北方)が浮彫りされている。

〜源頼朝のかくし湯〜
 天神山の西、妙法寺の南には、「源頼朝のかくし湯」があったと伝えられ、明治時代には温泉旅館(鉱泉)もできて賑わっていたという。
 そもそも、田んぼの水で足の治療をしていた雁がいたことから、傷を治してくれる水として広まったようである。
 「源頼朝がこの水が傷に効くというのでお忍びで訪れた」という話や、「傷ついた武将に治療をさせた」という言い伝えから、「頼朝のかくし湯」と呼ばれたらしい。





近くには・・・。

洲崎古戦場跡
 新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場。義貞は堀口貞満と大島守之を州崎口に攻め込ませ、これを十六代執権赤橋(北条)守時が迎え撃った。
 60回以上の合戦の末、鎌倉方は敗れ、守時はじめ90人以上が自刃したという。
 詳しくは写真をクリック



鎌倉幕府滅亡の古戦場〜山崎と上町屋の散策〜






〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜

鎌倉寺社巡り その10トップ

鎌倉手帳トップ
鎌倉検定のページ
(3級・2級・1級の問題と解説)
カスタム検索