鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その10
鎌倉の史蹟玉縄首塚


編集:岡戸事務所
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=戦死者の供養《玉縄首塚》=

 1526年(大永6年)、安房の里見実堯が鎌倉に攻め込んだ。
 玉縄城の北条氏時(北条氏綱の弟)がこれを迎え撃ち、戸部川(柏尾川)付近で激しい戦闘となった(参考:里見氏の鎌倉来襲)。
 この戦いで両軍ともに多くの戦死者を出した。氏時方では甘糟氏をはじめとする30数名が里見軍に首を取られた。戦い後、氏時は里見方に申し入れて、互いに討ち取った首を交換し、この地に葬ったと伝えられている。
 塚に聳える榎は、このときに植えられたものと伝えられ、「甘糟榎」と呼ばれていた。塚も「甘糟塚」と呼ばれていたが、現在は「玉縄首塚」と呼ばれている。
 8月19日には、首塚を供養する祭り「玉縄首塚まつり」が開催され、灯籠流しも行われる。


〜鎌倉に攻め入った里見氏とは・・・〜
 1526年(大永6年)に里見氏が鎌倉に攻め入ったときの大将を里見義弘とすることがあるが、このとき攻め込んできたのは、里見実堯である。

 義弘は実堯の孫となる。義弘が鎌倉に攻め込んできたとされるのは、1556年(弘治2年)の三崎の戦(北条氏と里見氏の海戦)のときで、里見軍が実際に鎌倉に上陸したかは定かではないが、鎌倉尼五山第一位だった太平寺の住職青岳尼が義弘とともに安房に渡ったため、太平寺は廃寺となったと伝えられている。


エノキ



戦国時代の名城「玉縄城址」周辺を散策
玉縄首塚まつり〜北条・里見の鎌倉合戦戦死者の供養〜




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