戦国武将で、本当の名は伊勢盛時という。
早雲は、1493年(明応2年)、堀越公方足利政知の子茶々丸を攻撃し、伊豆を奪い取った(伊豆討入り 参考:堀越御所跡 願成就院)。韮山城を居城とし、1495年(明応4年)には小田原城を奪い取った。
その後、相模に進出し、1510年(永正7年)、鎌倉には住吉城を築いたが、三浦道寸(義同)によって落されてしまう。そして、早雲を退かせた道寸は岡崎城に入った。
体制を立て直した早雲は、1512年(永正9年)、道寸の岡崎城を攻め、さらに住吉城を攻めて道寸を三浦の新井城に敗走させた。これにより相模の支配権を手に入れた。
そして、新井城の三浦道寸攻略のため、玉縄城が築かれた。
※参考:伊勢盛時がその存命中に「北条早雲」と名乗ったことはない。早雲の死後、二代目となる氏綱が「北条氏」を名乗ってからのこと。 |