鎌倉手帳(寺社散策)


相模川の橋供養
旧相模川橋脚
(茅ヶ崎市)


編集:岡戸事務所
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 武蔵国稲毛(川崎市)を領していた稲毛重成が、亡き妻の供養のため相模川に橋を架けた。
 1198年(建久9年)12月27日、その落成式が源頼朝も参列し行われた。
 重成の妻は、北条政子北条義時の妹。
 頼朝は、橋の渡り初めを行い、その帰路落馬してしまう。
 その怪我が原因で翌年1月13日に亡くなったと『吾妻鏡』には記されている(参考:源頼朝落馬の地:藤沢市辻堂)。

 ☆源頼朝落馬の地(藤沢市辻堂)



 旧相模川の橋脚は、地中に埋まっていたが、関東大震災で浮かび上がってきた。
 『吾妻鏡』などの記録から、相模川に架けられた橋の遺構とされ、国の史跡に指定されている。
 確認された橋脚は10本。橋脚の間隔から、橋幅約9メートル、長さ40メートルを超すものであったと推測されている。


関東大震災で出現した橋脚


 橋脚は、ヒノキ製で、発見された10の柱が2メートル間隔の3本1列の橋脚が、10メートル間隔で4列であると推定されている。平成13年の調査まで本物が並んでいたが、腐食が激しいため、現在は模造の橋脚が池に配置されている。
 この橋の確認によって、相模川は現在より東方を流れていたことが判明した。






近くに・・・
◎弁慶塚
 鶴嶺八幡宮の大鳥居を入ったところにある源義経一族の霊を慰めるために造られた塚。
◎鶴嶺八幡宮
 源頼義が、石清水八幡宮を勧請し戦勝祈願をした。
◎龍前院
 
源頼朝の落馬の責任をとって自害した警護の者10名の墓がある。

源義経の伝説を巡る旅



「茅ヶ崎駅」下車
「平塚駅行き」バス「町屋」または「今宿」下車



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