鎌倉手帳(寺社散策)

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鎌倉幕府の政策
〜北条氏の政治〜

岡戸事務所
編集:岡戸事務所







 1199年(正治元年)、源頼朝が死去すると、これまでの将軍独裁政治から、合議制による政治へと移行し、承久の乱を経て北条氏による執権政治が確立されていく。

 とくに、三代執権北条泰時は、連署評定衆の設置、度重なる天災による飢饉への対応、武家の法典である「御成敗式目」を制定するなど、鎌倉幕府における基盤のみならず、江戸幕府まで続く武家政権の基盤を築き上げた。

 鎌倉時代というと戦乱・討伐・謀叛・讒訴などが先に立ってしまい、どうしても血なまぐさいの世であったのような印象も受けるが、源氏が三代で滅んでから、100年以上も政権を維持した北条氏には、さまざまな苦心があったものと考えられる。





宿老13人の合議制(1199年)

 源頼朝亡き後の幕府の政治は、将軍独裁から合議制へ。


六波羅探題の設置(1221年)

 承久の乱以後、朝廷監視のため「六波羅探題」を設置(参考:六波羅蜜寺)。


連署の設置(1224年)

 執権を補佐する役職である「連署」が設置された。


評定衆の設置(1225年)

 執権・連署の下に置かれた合議機関。


寛喜の大飢饉(1231年頃)

 全国的な異常気象による飢饉と幕府の対応。


御成敗式目の制定(1232年)

 武家の法典の制定。


引付の設置(1249年)

 評定衆の下に置かれた裁判機関。


正嘉の飢饉(1259年頃)

 自然災害と人災による飢饉。


永仁の徳政令(1297年)

 貧窮に苦しむ御家人救済のために出された徳政令。


文保の和談(1317年)

 幕府による皇位継承の仲裁。






商人への規制

 武家政権の中心である鎌倉には、多くの商人が集まり人口も急増した。そのため、幕府は商人に対する法令を度々出して規制を行っている。


禅への規制

 『吾妻鏡』などの記事によって、鎌倉の僧も武装していたことが知られている。幕府は兵杖の禁止や、禅僧への禁制を出している。





〜得宗専制政治と内管領

 源頼朝亡き後の鎌倉幕府は、将軍独裁から合議制による政治へと切り替え、評定衆の設置や引付を設置した。

 しかし、徐々に北条氏の嫡流である得宗家による専制政治へと移行し、最終的には、得宗の御内人の筆頭である内管領が政治の実権を握るようになっていく。

 将軍も執権(得宗)もその実権がなくなると、鎌倉幕府は信用を失い、滅亡へと進んでいくことになる(参考:嘉暦の騒動)。


得宗

内管領


得宗専制政治を確立した北条時頼(okadoのブログ)






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