1199年(正治元年)、源頼朝が死去すると、これまでの将軍独裁政治から、合議制による政治へと移行し、承久の乱を経て北条氏による執権政治が確立されていく。
とくに、三代執権北条泰時は、連署、評定衆の設置、度重なる天災による飢饉への対応、武家の法典である「御成敗式目」を制定するなど、鎌倉幕府における基盤のみならず、江戸幕府まで続く武家政権の基盤を築き上げた。
鎌倉時代というと戦乱・討伐・謀叛・讒訴などが先に立ってしまい、どうしても血なまぐさいの世であったのような印象も受けるが、源氏が三代で滅んでから、100年以上も政権を維持した北条氏には、さまざまな苦心があったものと考えられる。 |