鎌倉手帳(寺社散策)


鶴嶺八幡宮
(茅ヶ崎市)


編集:岡戸事務所
カスタム検索


〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







源氏の氏神《鶴嶺八幡宮》

 鶴嶺八幡宮は、源氏が関東に進出した際、初めて氏神として祀った神社。
 1030年(長元3年)、源頼義は、平忠常の乱を平定した際、京の石清水八幡宮を勧請して懐島八幡宮を創建し、前九年の役(1055年(天喜3年))では戦勝祈願を行った(石清水八幡宮ではなく宇佐八幡宮を勧請したという説もある。)。
 頼義の子義家は、後三年の役(1085年(応徳2年))の際に祈願し、勝利したので、隣郷の浜之郷に現在の鶴嶺八幡宮を創建した。

 前九年の役で勝利した頼義は、1063年(康平6年)、鎌倉の由比郷に懐島八幡宮を勧請し鶴岡若宮(元八幡)を創建したといわれている。鶴嶺八幡宮はその旧社であることから本社宮と呼ばれた。のちに源頼朝は、懐島郷に領地を寄進し安堵している。
 蒙古襲来の際には、その退散に功があったと伝えられている。

祭神 応神天皇 仁徳天皇 佐塚大神
菅原道真(鶴嶺天満宮合祀)



 鶴嶺八幡宮は、1590年(天正18年)、小田原の後北条氏が滅ぶと荒廃したが、1649年(慶安2年)、徳川幕府によって、七石の領地を与えられ社領を認められた。その記念に別当寺「常光院」の朝恵は、荒れ果てた社殿を地頭山岡景信の協力を得て修復する。
 参道の松は、朝恵によって植えられたものと伝えられている。参道の松並木は、茅ヶ崎市の史跡に指定され、松は天然記念物に指定されている。

◎朝恵上人の碑
 鶴嶺八幡宮を再興した朝恵上人の碑(中央)。
 右は歌碑。
 ながながと参道に列並む松のみど里 朝恵上人を永久に語り次ぐべし  三郎
 今もなお朝恵の松の若みどり  十八世鴨立庵 芳女
 と刻まれている。

 左の神石は、「女護が石」と呼ばれ、願い事を念じながら石の肌をさすり、自分の身体をなでると病等は平癒し、願い事は成就すると伝えられ、現在では、女性の守護神として信仰されている。


◎大銀杏
 値廻り、8.5メートル、高さ29メートルの巨木。源義家が鶴嶺八幡宮を現在の地に遷座したときに植えたものと伝えられている。神奈川県指定天然記念物。

◎槇
 源頼義が前九年の役の戦勝祈願のために植えたと伝わる御神木。


淡島神社

鉾宮神社

稲荷大明神

宮鐘






 大庭御厨の領主大庭景義は、社殿を修復し鶴嶺八幡宮を再興した。このときに西隣りに伊予の三島の神を祀る佐塚明神社が建立された。のちに佐塚明神社は鶴嶺八幡宮に合祀され、鶴嶺八幡宮が佐塚明神社の祭礼「浜降祭」を主宰するようになった。 
参考:懐島城址(神明大神宮)



「茅ヶ崎駅」下車
「平塚駅行き」バス「町屋」または「今宿」下車


国道1号線沿いの鶴嶺八幡宮大鳥居

近くに・・・
◎旧相模川橋脚
 稲毛重成が妻の供養に架けた橋の橋脚。橋供養には源頼朝も参列した。
◎弁慶塚
 鶴嶺八幡宮の大鳥居を入ったところにある源義経一族の霊を慰めるために造られた塚。
◎龍前院
 
源頼朝の落馬の責任をとって自害した警護の者10名の墓がある(源頼朝落馬の地(藤沢市辻堂))。





鎌倉手帳トップ 鎌倉検定のページ
(3級・2級・1級の問題と解説)
カスタム検索