鎌倉手帳(寺社散策)

腰越海岸
〜鎌倉の海〜


編集:岡戸事務所
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 江の島と小動岬の間の海岸で、その東側が腰越海岸で、西側が江ノ島(片瀬)東浜海岸となっている。
 「腰越」という名は、「人々が肥えた土地を求めて、山の腰を越えて、海側の地へ移り住んできたから」とも、「五つの頭をもった龍が、里の子を食べるので人々が土地を離れたことから「子死越」と呼ばれるようになった」とも伝えられている。
 参考:江ノ島縁起(龍口明神社) 

 腰越は、江戸時代には「鎌倉五ヶ浦」と呼ばれた漁村。
 五ヶ浦とは、材木座、坂ノ下、腰越、片瀬、江ノ島
 腰越漁港では、毎月第1・第3木曜日の午前10時から「朝市」が行われており、シラスなどが販売されている。
 正月4日には、漁師の仕事始「船祝い」が行われる。


 源義経は、壇ノ浦の合戦で勝利し、平宗盛を護送して鎌倉に入ろうとしたが、頼朝の怒りに遭い入ることができず、腰越に留め置かれた。有名な「腰越状」は、滞在していた満福寺で書いたと伝えられている。
 その後、義経は、藤原秀衡を頼って奥州に逃れるが、秀衡の死後、その子泰衡に攻められ自刃した。義経の首は、この腰越に運ばれ、和田義盛梶原景時による首実検が行われた後、藤沢の白旗神社に葬られたと伝えられている。
 源義経の伝説を巡る旅
 源義経の母常盤御前(okadoのブログ)

 小動岬は、八王子社(現小動神社)があったことから、八王子山とも呼ばれている。
 江ノ島を一望することができ、7月には江ノ島八坂神社の天王祭にあわせて腰越でも天王祭が行われる。最終日には神輿の海上渡御が行われる。




腰越漁港の船祝い
天王祭・・・江ノ島八坂神社・腰越小動神社2011/07/10





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