鎌倉手帳(寺社散策)


七里ヶ浜
〜鎌倉の海〜


編集:岡戸事務所
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〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







 七里ヶ浜は、稲村ヶ崎から小動岬までの海岸。
 「七里」という名の由来は、「関東道でいう6町を1里」という勘定でいくと7里あるから」というのが『新編鎌倉志』による説らしい。
 平成14年までは海水浴場として賑わったが、現在は海水浴場は開かれていない。
 江ノ電からの景色も素晴らしい七里ヶ浜は、「日本の渚百選」に選ばれている。


黒い砂浜・・・七里ヶ浜(いろんな鎌倉)



 明治43年、七里ヶ浜の沖で逗子開成中学の生徒ら12人が遭難死した事故があった。
 稲村ヶ崎には、死んでも弟を抱きしめていた徳田勝治、武三兄弟を表したという慰霊碑が建てられている。

ボート遭難の碑(okadoのブログ)

 哲学者西田幾多郎は、稲村ヶ崎の姥ヶ谷に居住した。
 七里ヶ浜に建てられた歌碑には、「七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果ししらずも」と刻まれている。

稲村ヶ崎・磯づたいの道(okadoのブログ)

 日蓮龍ノ口で処刑になりそうになったとき、急に雷雨が激しくなり、役人の太刀が折れるなど不思議な現象が起こった。
 そのため、龍ノ口からは幕府に知らせるための使者を、幕府からは処刑中止を知らせる使者が走った。
 江ノ電「七里ヶ浜駅」の近くを流れる行合川は、両方の使者が行き合った場所なのでそう呼ばれるようになったという。


七里ヶ浜に自生するハマヒルガオ
七里ヶ浜のハマヒルガオ(okadoのブログ)

〜日本バレエ発祥の地〜
 ロシア革命から逃れるため日本に来たエリアナ・パブロバは、大正13年から七里ヶ浜に住み、バレエの稽古場を開いた。日本に帰化し「霧島エリ子」と名乗る。そのため、七里ヶ浜は「日本バレエ発祥の地」とされている。
 昭和16年、日本軍人慰問のため訪れた南京で亡くなった。慰霊は靖国神社に祀られたという。
 詳しくは写真をクリック

稲村ヶ崎・磯づたいの道(okadoのブログ)








 稲村ヶ崎は、新田義貞の龍神伝説で知られている。




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