アカガシと亀



     旧家の広い庭に、瓢箪型の池があった。用水路から引かれた水が、音も
    
    なく流れ込み、水面に小さな渦が捲いていた。その池の真ん中で、ぽっこ

    りと甲羅が浮きあがると、水面から亀の頭が突き出た。


     亀が池の周囲をゆっくりと見渡すと、若いアカガシの木に眼を留め、口

    をひらいた。

    「アカガシさん、最近元気ないけど、どうしたの?」

    「・・・・・」

    「もしよければ、話してみてくれないか?」

    「ぼくは・・・大木になるはずの木なんだ。だけど、ぼくの頭のすぐ上に

    ケヤキの大木があって・・・これ以上伸びることができないんだ。」

     それを聞くと、亀は頭を水中に沈め、前後の手足を掻いて重い体をゆっ

    くりと進め、岸にたどり着くと、再び頭を持ち上げて口をひらいた。

    「つまり、ケヤキが枯れない限り、きみは今のままだってことか。でも、

    上に伸びるだけが、最高の人生とは限らないだろう。上を諦めて、横に張

    り出したらいいじゃないの」

    「たしかに、それは簡単なことさ。だけど、安易に横道に逸れてしまう

    と、もう大木になることは無理だよ。若いうちは、まっすぐに成長するこ

    とが必要なんだ」

    そう言うと、アカガシは溜息をついて黙り込んだ。

    亀は池からはい上がると、草の上をのそのそと歩いて、アカガシの根元ま

    でやってきた。

    「きみの気持ちは分からないでもないよ。確かに空を見上げて、上を目指

    すのも素晴らしいと思う。でも、わたしなんか、いつも地べたばかり這い

    ずり回っていますけどね。上も横もダメなときは、下を見てごらんよ」

     アカガシが黙って聞いていると、亀は諭すように話した。

    「下の世界も捨てたもんじゃないよ。ほら、このスミレをみてごらん。庭

    の外の世界を見ることなんか一生できないけれど、こんなにきれいな花を

    咲かせて、近くのみんなを喜ばせている。ケヤキを恨めしく見上げてばか

    りいないで、他の世界も知ってごらんよ。上の世界も下の世界も、たいし

    て変わりがないことに気づくと思うよ」

     しばらく考え込んでいたアカガシが、ようやく口をひらいた。

    「ぼくは、横に逸れずに、今まで通り上を目指すことはやめたくない。で

    も、きみのいう通り、他の世界のことも知りたいと思う・・・」

    それを聞いた亀は、首を伸ばしてアカガシにやさしく微笑むと、のっそり

    と池へと引き返し、ドボンと飛び込んだ。