彼女のことを知ったのは、大学のころだった。ある店に大型のパ
ネルが売り出されていた。誰かは知らないが、その表情に惹かれ
て部屋に飾っていた。大学の先輩が映画好きで、それを見てマル
ネーネ・ディートリッヒだと教えてくれ、はじめてその女優を知っ
た。
ドイツで生まれ、幼いころから父親を亡くしたため、酒場で歌を歌
って生活費を稼いだ。その後女優となり、アメリカへ移住した。ヒト
ラーは彼女のファンでドイツに帰るよう説得したが、彼女は拒否し
てアメリカ市民権を取り、アメリカ軍の慰問活動を行った。
その功績によりアメリカからは大統領自由勲章(アメリカ市民と
して最高の栄誉)を授与された。女優としても、歌手としても、大成
功をおさめた。
引退後はパリに隠棲し、メディアの目に触れることはなくなかっ
た。ファンからの手紙は、「パリ市、マルネーネ・ディートリッヒ様」
で届いたという噂もあるが、引退後の姿はまったく謎に包まれてお
り、人々の興味の対象となった。
それから十数年たって、パリの下町で90歳の老婆が古いアパー
トで孤独死しているのが見つかった。身元を調べてみると、マルレ
ーネ・ディートリッヒだった。だが、彼女の存在はもう人々の興味か
ら薄れ、死亡記事は社会面の片隅に載せられただけだった。